孔子家語 / 困誓
孔子自衛將入晉,至河,聞趙簡子殺竇犨鳴犢,及舜華。乃臨河而嘆曰:「美哉水,洋洋乎。丘之不濟,此命也夫。」子貢趍而進曰:「敢問何謂也?」孔子曰:「竇犨鳴犢,舜華,晉之賢大夫也。趙簡子未得志之時,須此二人而後從之。及其已得志也,而殺之。丘聞之:刳胎殺夭,則麒麟不至其郊;竭澤而漁,則蛟龍不處其淵;覆巢破卵,則凰凰不翔其邑。何則?君子違傷其類者也。鳥獸之於不義,尚知避之,況於人乎?」遂還息於鄒,作盤琴以哀之。
新字:孔子自衛将入晉,至河,聞趙簡子殺竇犨鳴犢,及舜華。乃臨河而嘆曰:「美哉水,洋洋乎。丘之不済,此命也夫。」子貢趍而進曰:「敢問何謂也?」孔子曰:「竇犨鳴犢,舜華,晉之賢大夫也。趙簡子未得志之時,須此二人而後従之。及其已得志也,而殺之。丘聞之:刳胎殺夭,則麒麟不至其郊;竭沢而漁,則蛟竜不処其淵;覆巣破卵,則凰凰不翔其邑。何則?君子違傷其類者也。鳥獣之於不義,尚知避之,況於人乎?」遂還息於鄒,作盤琴以哀之。
書き下し
孔子衛自り将に晋に入らんとし、河に至り、趙簡子の竇犨鳴犢及び舜華を殺せるを聞く。乃ち河に臨みて嘆じて曰わく、「美しいかな水、洋洋乎たり。丘の済らざるは、此れ命なるかな。」子貢趍りて進みて曰わく、「敢えて何の謂いぞやと問う。」孔子曰わく、「竇犨鳴犢、舜華は、晋の賢大夫なり。趙簡子未だ志を得ざるの時、此の二人を須ちて而る後之に従う。其の已に志を得るに及びて、而して之を殺す。丘之を聞く、胎を刳き夭を殺せば、則ち麒麟其の郊に至らず。沢を竭くして漁すれば、則ち蛟竜其の淵に処らず。巣を覆し卵を破らば、則ち凰凰其の邑に翔らず。何となれば則ち、君子は其の類を傷るを違うる者なり。鳥獣すら不義に於て、尚お之を避くるを知る、況んや人に於てをや。」遂に還りて鄒に息い、盤琴を作りて以て之を哀しむ。
現代語訳
孔子は衛の国から晋に入ろうとして、黄河のほとりに到着したとき、趙簡子が竇犨鳴犢と舜華の二人を殺害したことを聞いた。そこで黄河を前にして嘆いて言った。「美しいことよ、この水は。洋々と満ち満ちていることよ。私がこの川を渡ることができないのは、これも運命であろう。」子貢が急いで進み出て言った。「あえてお尋ねします。それはどういうことでございましょうか。」先生は言った。「竇犨鳴犢と舜華は、晋の賢明な大夫である。趙簡子はまだ志を得ていなかったとき、この二人を頼りにして、その後に従っていた。ところが自分の志がすでに達成されると、この二人を殺してしまったのだ。私はこう聞いている。母胎を裂き幼いものを殺すようなことをすれば、麒麟はその郊外にはやって来ない。沢の水を涸らし尽くして魚を捕れば、蛟竜はその淵に棲みつかない。巣をひっくり返し卵を割るようなことをすれば、鳳凰はその里の上を飛ばない。なぜかといえば、君子は自分と同じ仲間が傷つけられることを避けようとするものだからだ。鳥や獣でさえ不義な行いからは遠ざかることを知っているというのに、まして人間においてはなおさらではないか。」そこで引き返して鄒の国にとどまり、『盤琴』という曲を作って、この二人の死を悼んだのであった。
解説
この章句が説くこと
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説苑・權謀趙簡子曰く、「晉に澤鳴・犢犨有り、魯に孔丘有り。吾れ此の三人を殺さば、則ち天下圖るべし」と。是に於て乃ち澤鳴・犢犨を召し、之に政を任じて之を殺す。人をして孔子を魯に聘せしむ。孔子河に至り、水に臨みて觀て曰く、「美しき哉水よ、洋洋乎たり。丘の此に濟らざるは、命なる夫」と。子路趨り進みて曰く、「敢へて奚の謂ひぞやと問はん」と。孔子曰く、「夫れ澤鳴・犢犨は、晉國の賢大夫なり。趙簡子の未だ志を得ざるや、之と聞見を同じくす。其の志を得るに及びては、之を殺して後に政に從ふ。故に丘之を聞く、胎を刳き夭を焚けば、則ち麒麟至らず。澤を乾して漁すれば、蛟龍遊がず。巢を覆し卵を毀てば、則ち鳳凰翔らず。丘之を聞く、君子は其の類を傷るを重んずる者なりと」と。
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孔子家語・困誓孔子宋に之く、匡人簡子甲士を以て之を囲む。子路怒り、戟を奮いて将に与に戦わんとす。孔子之を止めて曰わく、「悪くんぞ仁義を修めて世俗の悪を免れざる者有らんや。夫れ詩書の講ぜざる、礼楽の習わざるは、是れ丘の過ちなり。若し先王を述べ、古法を好むを以て咎と為さば、則ち丘の罪に非ざるなり。之を命なるかな。歌え、予汝に和せん。」子路琴を弾じて歌い、孔子之に和す。曲三たび終わりて、匡人甲を解きて罷む。孔子曰わく、「高崖を観ざれば、何を以て顛墜の患いを知らんや。深泉に臨まざれば、何を以て沒溺の患いを知らんや。巨海を観ざれば、何を以て風波の患いを知らんや。之を失う者は、其れ此に在るか。士此の三者を慎めば、則ち身に累無し。」
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孔子家語・困誓他日、霊公又夫子と語る、飛鴈の過ぐるを見て之を仰視し、色悦ばず。孔子乃ち逝く。
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孔子家語・致思孔子衛より魯に反り、駕を河梁に息めて観る。懸水三十仞、圜流九十里なる有り、魚鱉導く能わず、黿鼉居る能わず。一丈夫の方に厲らんとする有り、孔子人をして涯に並びて之を止めしめて曰わく、「此の懸水三十仞、圜流九十里なるは、魚鱉黿鼉も居る能わざるなり、意うに済る可からざらん。」 丈夫意に措せず、遂に渡りて出づ。 孔子之に問いて曰わく、「子道術有るか。入りて出づる能わゆる所以は、何ぞや。」 丈夫対えて曰わく、「始め吾の入るや、先ず忠信を以てす。吾の出づるに及びても、又忠信を以て従う。忠信吾が軀を波流に措く、而して吾敢えて私を用いず、入りて復た出づる能う所以なり。」 孔子弟子に謂いて曰わく、「二三子之を識せ、水すら且つ猶忠信を以て身を成し之に親しむ可し、而るを況んや人に於てをや。」
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荘子・至楽顔淵東のかた斉に之く。孔子憂色有り。子貢席を下りて問いて曰く、「小子敢えて問う。回東のかた斉に之くに、夫子憂色有るは、何ぞや」と。孔子曰く、「善いかな汝の問いや。昔者(むかし)管子に言有り。丘甚だ之を善しとす。曰く、『褚(ふくろ)の小なる者は以て大を懐(い)るべからず。綆(つるべなわ)の短き者は以て深きを汲むべからず』と。夫れ是(かく)の若き者は、命に成る所有りて形に適する所有りと為す。夫れ損益すべからず。吾は恐る、回の斉侯と堯・舜・黄帝の道を言い、而して重ぬるに燧人・神農の言を以てせんことを。彼将に内に己に求めて得ざらんとす。得ざれば則ち惑う。人惑えば則ち死す。且つ女は独り聞かざるか。昔者海鳥魯の郊に止まる。魯侯御して之を廟に觴(さかづき)す。九韶(きゅうしょう)を奏して以て楽と為し、太牢(たいろう)を具えて以て善と為す。鳥は乃ち眩視(げんし)憂悲し、敢えて一臠(いちれん)を食らわず、敢えて一杯を飲まず。三日にして死せり。此れ己を養うを以て鳥を養うなり。鳥を養うを以て鳥を養うに非ざるなり。夫れ鳥を養うを以て鳥を養う者は、宜しく之を深林に栖(す)ましめ、之を壇陸に遊ばしめ、之を江湖に浮かべ、之に鰍鰷(しゅうじょう)を食らわしめ、行列に随いて止まり、委蛇(いい)として処らしむべし。彼は唯だ人言の聞くを悪(にく)む。奚(なん)ぞ夫の譊譊(どうどう)たるを以て為さんや。咸池・九韶の楽、之を洞庭の野に張らば、鳥は之を聞きて飛び、獣は之を聞きて走り、魚は之を聞きて下り入る。人卒(じんそつ)は之を聞き、相与に還りて之を観る。魚は水に処りて生き、人は水に処りて死す。故に必ず相与に異なる。其の好悪故に異なるなり。故に先聖は其の能を一にせず、其の事を同じくせず。名は実に止まり、義は適に設く。是を之れ条達して福持すと謂う」と。
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