孔子家語 / 終記解
二三子,三年喪畢,或留或去。惟子貢廬於墓六年。自後,群弟子及魯人處於墓如家者,百有餘家。因名其居曰「孔里」焉。
新字:二三子,三年喪畢,或留或去。惟子貢廬於墓六年。自後,群弟子及魯人処於墓如家者,百有余家。因名其居曰「孔里」焉。
書き下し
二三子、三年の喪畢わり、或いは留まり或いは去る。惟だ子貢のみ墓に廬すること六年。自後、群弟子及び魯人の墓に處ること家の如き者、百有餘家。因りて其の居を名づけて「孔里」と曰う。
現代語訳
弟子たちは三年の喪が終わると、あるものは留まり、あるものは去っていった。ただ子貢だけは墓のそばに廬(粗末な小屋)を建てて六年間服喪した。その後、多くの弟子や魯の人々で墓のそばに家を構えて住む者が百軒あまりにのぼった。そこでその居住地を「孔里」と名づけた。
解説
孔子の死後、弟子たちが規定の三年の喪を終えて多くは去っていく中、子貢だけはさらに三年、合計六年もの間、墓のそばに廬を建てて師を弔い続けたという逸話です。子貢は孔門十哲の一人で弁舌と商才に優れた高弟として知られますが、ここでは師への深い敬愛と誠実さを示す人物として描かれています。孔子への敬慕から多くの人が墓の周りに住みつき、「孔里」という地名が生まれたことは、孔子の人格的影響力の大きさを象徴しています。規定の期間を超えてまで師への恩義を尽くす子貢の姿は、恩を受けた者への感謝をどこまで持続できるかという、現代にも通じる人間関係の在り方を問いかけています。
この章句が説くこと
子貢廬墓心喪孔里
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