孔子家語 / 終記解
既卒,門人疑所以服夫子者。子貢曰:「昔夫子之喪顏回也,若喪其子而無服。喪子路亦然。今請喪夫子如喪父,而無服。」於是弟子皆吊服而加麻;出有所之,則由绖。子夏曰:「入,宜绖可也。出,則不绖。」子遊曰:「吾聞諸夫子:喪朋友,居則绖,出則否。喪所尊,雖绖而出,可也。」
書き下し
既に卒するや、門人夫子に服する所以を疑う。子貢曰く、「昔、夫子の顏回を喪するや、其の子を喪うが若くして服無し。子路を喪するも亦然り。今請う、夫子を喪すること父を喪うが如くして、服無からんことを。」是に於て弟子皆吊服して麻を加う。出でて之く所有れば、則ち绖(てつ)に由る。子夏曰く、「入りては、宜しく绖すべきなり。出づれば、則ち绖せず。」子遊曰く、「吾諸(これ)を夫子に聞く、朋友を喪するには、居りては則ち绖し、出づれば則ち否らず。尊ぶ所を喪するには、绖すと雖も出づるも、可なり。」
現代語訳
孔子が亡くなると、門人たちは先生の喪にどう服すべきか迷った。子貢が言った。「昔、先生が顔回を亡くされたときは、我が子を亡くしたかのように悲しまれたが、喪服は着られなかった。子路を亡くされたときも同様であった。今、先生の喪に服すのに、父を亡くしたときのようにしながらも、正式な喪服は着ないことにしたい。」そこで弟子たちは皆、弔いの服を着て麻の帯を加えた。外出する用事があるときは、绖(麻の首飾りの帯)をつけたままにした。子夏は言った。「家の中にいるときは绖をつけるのがよい。外出するときは、つけない方がよい。」子游は言った。「私は先生からこう聞いている。友人の喪に服す場合は、家にいるときは绖をつけ、外出するときはつけない。尊敬する人の喪に服す場合は、绖をつけたまま外出してもよい、と。」
解説
孔子の死に際し、弟子たちが師をどう弔うべきかを議論する場面です。孔子は師であって血縁ではないため、正式な喪服の対象ではありませんが、子貢は父に対するような深い哀悼の心をもって喪に服すことを提案しました。子夏と子游の間では、外出時に喪の印である绖(首や腰につける麻の帯)をつけるかどうかで意見が分かれています。この議論は、単なる形式の問題ではなく、師への敬愛の情をどう礼の形で表現するかという儒家の礼学の実践例です。規定のない事態に直面したとき、根本の心情(敬愛・哀惜)に立ち返りつつも、状況に応じた適切な形式を仲間内で相談し決めていく姿勢は、現代の組織や共同体における慣習づくりにも通じるものがあります。
この章句が説くこと
喪礼子貢子夏子游绖
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