孔子家語 / 七十二弟子解
叔仲會,魯人,字子期,少孔子五十歲。與孔琁年相比,每孺子之執筆記事於夫子,二人叠侍左右。孟武伯見孔子而問曰:「此二孺子之幼也。於學豈能識於壯哉?」孔子曰:「然少成則若性也,習慣若自然也。」
新字:叔仲会,魯人,字子期,少孔子五十歳。与孔琁年相比,毎孺子之執筆記事於夫子,二人叠侍左右。孟武伯見孔子而問曰:「此二孺子之幼也。於学豈能識於壮哉?」孔子曰:「然少成則若性也,習慣若自然也。」
書き下し
叔仲會は、魯の人、字は子期、孔子より少きこと五十歲。孔琁と年相比べ、孺子の筆を執りて事を夫子に記す每に、二人左右に叠侍す。孟武伯孔子を見て問いて曰く、「此の二孺子の幼きや。學に於て豈に壯に識るを能くせんや」と。孔子曰く、「然り、少くして成れば則ち性の若く、習慣は自然の若し」と。
現代語訳
叔仲會は魯の人で、字は子期といい、孔子より50歳年下であった。孔琁と年齢が近く、子どもながらに筆を執って孔子のもとで事柄を記録するたびに、二人は交代で左右に控えて仕えた。孟武伯が孔子に会って尋ねた。『この二人の子どもはまだ幼いですが、学問において成人のように理解することができるものでしょうか』。孔子は答えた。『そうだ、幼いうちに身についたものは生まれつきの性質のようになり、習慣は自然のようになるものだ』。
解説
この一文は、幼い頃から孔子のそばに仕えて記録係を務めた叔仲會と孔琁について、孟武伯の疑問に孔子が答えた逸話を伝えています。二人はまだ子どもでありながら、孔子のもとで交代しながら筆記の役目を務めており、孟武伯はそのような幼い者に学問の内容を本当に理解できるのかと疑問を投げかけました。これに対して孔子は『少くして成れば則ち性の若く,習慣は自然の若し(幼いうちに身につけたことは生まれつきの性質のようになり、習慣は第二の天性となる)』と答え、早期からの学びと習慣づけがいかに深く人格に根づくかを説きました。この考え方は、後の『少年老成』や教育における早期習慣の重要性を説く思想の源流の一つとも言え、幼少期の環境と反復経験が人格形成に及ぼす影響の大きさを端的に示しています。現代の教育論においても、幼少期における習慣づけの重要性は繰り返し指摘されており、この逸話はその古典的な裏づけの一つといえるでしょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
叔仲会孔琁孟武伯習慣は自然の若し早期教育
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