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孔子家語 / 七十二弟子解

司馬黎耕,宋人,字子牛。牛為性躁,好言語。見兄桓魋行惡,牛常憂之。

新字:司馬黎耕,宋人,字子牛。牛為性躁,好言語。見兄桓魋行悪,牛常憂之。

書き下し

司馬黎耕は、宋の人、字は子牛。牛は性躁にして、言語を好む。兄桓魋の惡を行うを見て、牛常に之を憂う。

現代語訳

司馬黎耕は宋の人で、字は子牛という。性格はせっかちで、よく喋った。兄の桓魋が悪事を行うのを見て、牛はいつもこれを憂えていた。

解説

この一文は、司馬牛の気性の激しさと、悪事を働く兄桓魋への憂慮を伝えています。桓魋は宋の司馬(軍事を司る官)であった実力者で、後に孔子一行が宋を通過した際に命を狙ったとされる人物として『論語』や『史記』にも記されています。自分の兄がそのような悪行を重ねる立場にありながら、弟である司馬牛はそれを深く憂え、苦しんでいたことがこの一文からうかがえます。『論語』顔淵篇には司馬牛が『人皆兄弟有り、我獨り亡し』と憂えを述べ、子夏が『死生命有り、富貴天に在り』と慰める有名な問答が残っており、この背景には兄桓魋の存在への複雑な思いがあったと考えられています。血縁でありながら道を異にする兄弟という難しい関係の中で、なお憂え続ける姿勢は、身内の過ちにどう向き合うかという普遍的な問いを投げかけています。

この章句が説くこと

司馬牛桓魋論語顔淵篇兄弟の憂い

この一句を、あなたの毎日に。

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