孔子家語 / 七十二弟子解
顏刻,魯人,字子驕,少孔子五十歲。孔子適衛,子驕為僕。衛靈公與夫人南子同車出,而令宦者雍梁參乘,使孔子為次乘。遊過市,孔子恥之。顏刻曰:「夫子何恥之?」孔子曰:「詩云:『覯爾新婚,以慰我心。』」乃嘆曰:「吾未見好德如好色者也。」
新字:顔刻,魯人,字子驕,少孔子五十歳。孔子適衛,子驕為僕。衛霊公与夫人南子同車出,而令宦者雍梁参乗,使孔子為次乗。遊過市,孔子恥之。顔刻曰:「夫子何恥之?」孔子曰:「詩云:『覯爾新婚,以慰我心。』」乃嘆曰:「吾未見好徳如好色者也。」
書き下し
顏刻は、魯の人、字は子驕、孔子より少きこと五十歲。孔子衛に適くや、子驕僕と為る。衛の靈公夫人南子と車を同じくして出で、宦者雍梁をして參乘せしめ、孔子をして次乘たらしむ。市を遊過するに、孔子之を恥ず。顏刻曰く、「夫子何ぞ之を恥じたまうや」と。孔子曰く、「詩に云う、『爾が新婚に覯い、以て我が心を慰む』と」。乃ち嘆じて曰く、「吾未だ德を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり」と。
現代語訳
顏刻は魯の人で、字は子驕といい、孔子より50歳年下であった。孔子が衛に赴いた際、子驕が御者を務めた。衛の霊公が夫人の南子と同じ車に乗って外出し、宦官の雍梁を陪乗させ、孔子には後続の車に乗らせた。市中を通り過ぎる際、孔子はこれを恥じた。顏刻が『先生はなぜこれを恥じられるのですか』と尋ねると、孔子は『詩経に「あなたの新婚の様子を見て、私の心を慰めよう」とある』と述べ、さらに嘆いて『私はまだ徳を好むことを色を好むほどに好む者を見たことがない』と言った。
解説
この一文は、衛の霊公が夫人南子を伴う車列の後に孔子を従わせ、市中を練り歩いたという有名な逸話を伝えています。当時、霊公が寵愛する南子を前面に立てて公然と行進し、孔子を格下の後続車に置いたことは、政治顧問として招かれていたはずの孔子への軽視を意味し、孔子は深く恥じ入りました。この時に発せられた『吾未見好德如好色者也(私は徳を好むことを色を好むほどに好む者を見たことがない)』という言葉は『論語』子罕篇・衛霊公篇にも見える孔子の代表的な嘆きの一つで、為政者が美貌や欲望に惹かれる強さに比べ、徳を求める心がいかに弱いかを鋭く指摘したものです。顏刻がその場で率直に理由を尋ねたやり取りも、師弟間の率直な対話の一端を伝えています。現代においても、組織のリーダーが何を優先し、何を軽んじているかは、周囲から見透かされているという教訓を示しています。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
顏刻顔刻衛霊公南子論語好徳好色
関連する章句
-
論語・衛霊公篇子曰く、已んぬるかな。吾未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり。
-
史記 孔子世家桓子卒に斉の女楽を受け、三日政を聴かず。郊して、又膰俎を大夫に致さず。孔子遂に行き、屯に宿す。而して師己送りて曰く、「夫子は則ち罪に非ず」と。孔子曰く、「吾歌はんこと可ならんか」と。歌ひて曰く、「彼の婦の口、以て出走すべし。彼の婦の謁、以て死敗すべし。蓋し優なるかな游なるかな、維れ以て歳を卒へん」と。師己反る、桓子曰く、「孔子亦た何をか言へる」と。師己実を以て告ぐ。桓子喟然として嘆じて曰く、「夫子我を罪するに羣婢の故を以てするなるかな」と。孔子遂に衛に適き、子路の妻の兄顔濁鄒の家に主たり。衛の霊公孔子に問ふ、「魯に居りて禄を得ること幾何ぞ」と。対へて曰く、「粟六万を奉ず」と。衛人も亦た粟六万を致す。居ること之を頃くして、或ひと孔子を衛の霊公に譖す。霊公、公孫余仮をして一たび出で一たび入らしむ。孔子罪を獲んことを恐れ、居ること十月にして、衛を去る。将に陳に適かんとし、匡を過ぐ、顔刻僕為り、其の策を以て之を指して曰く、「昔吾此に入りしは、彼の缺けたるに由るなり」と。匡人之を聞き、以て魯の陽虎と為す。陽虎嘗て匡人に暴す、匡人是に於て遂に孔子を止む。孔子の状陽虎に類す、拘へらるること五日。顔淵後る、子曰く、「吾汝を以て死せりと為す」と。顔淵曰く、「子在す、回何ぞ敢へて死せん」と。匡人孔子を拘ふること益々急なり、弟子懼る。孔子曰く、「文王既に没す、文茲に在らずや。天の将に斯の文を喪ぼさんとするや、後死の者斯の文に与るを得ざるなり。天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人其れ予を如何せん」と。孔子、従者をして甯武子の臣と為りて衛に於てせしめ、然る後に去るを得たり。去りて即ち蒲を過ぐ。月余にして、衛に反り、蘧伯玉の家に主たり。霊公の夫人に南子なる者有り、人をして孔子に謂はしめて曰く、「四方の君子の辱くも寡君と兄弟為らんと欲する者は、必ず寡小君に見ゆ。寡小君見えんことを願ふ」と。孔子辞謝するも、已むを得ずして之に見ゆ。夫人絺帷の中に在り。孔子門に入り、北面して稽首す。
-
孔子家語・儒行解孔子衛に在り。冉求季孫に言いて曰く、「国に聖人有りて用うる能わず、以て治を求めんと欲するは、是れ猶お歩を却けて前人に及ばんと求むるがごとし、得べからざるなり。今孔子衛に在り、衛将に之を用いんとす。己に才有りて以て隣国に資す、智を言うを以てし難きなり。請う重幣を以て之を迎えん。」季孫以て哀公に告ぐ。公之に従う。孔子既に至り、舍る。哀公之を館す。公阼階よりし、孔子賓階よりして、堂に升りて立ち侍す。
-
史記 孔子世家夫人帷中より再拝す、環珮の玉声璆然たり。孔子曰く、「吾郷に見えずと為す、之を見るに礼もて答ふ」と。子路説ばず。孔子之に矢ひて曰く、「予が否なる所の者は、天之を厭たん、天之を厭たん」と。衛に居ること月余、霊公夫人と車を同じくし、宦者雍渠参乗し、出で、孔子をして次乗為らしめ、招揺して市に之を過ぐ。孔子曰く、「吾未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり」と。是に於て之を醜とし、衛を去り、曹を過ぐ。是の歳、魯の定公卒す。孔子曹を去りて宋に適き、弟子と礼を大樹の下に習ふ。宋の司馬桓魋孔子を殺さんと欲し、其の樹を抜く。孔子去る。弟子曰く、「以て速やかにすべし」と。孔子曰く、「天徳を予に生ず、桓魋其れ予を如何せん」と。孔子鄭に適き、弟子と相失ひ、孔子独り郭の東門に立つ。鄭人或ひと子貢に謂ひて曰く、「東門に人有り、其の顙は堯に似、其の項は皋陶に類し、其の肩は子産に類す、然れども要より以下は禹に及ばざること三寸。纍纍として喪家の狗の若し」と。子貢実を以て孔子に告ぐ。孔子欣然として笑ひて曰く、「形状は末なり。而るに喪家の狗に似たりと謂ふは、然るかな、然るかな」と。孔子遂に陳に至り、司城貞子の家に主たり。歳余にして、呉王夫差陳を伐ち、三邑を取りて去る。趙鞅朝歌を伐つ。楚蔡を囲み、蔡呉に遷る。呉、越王句践を会稽に敗る。隼有り陳の廷に集まりて死す、楛矢之を貫く、石砮にして、矢の長さ尺有咫。陳の湣公使をして仲尼に問はしむ。仲尼曰く、「隼の来たること遠し、此れ粛慎の矢なり。昔武王商に克ち、道を九夷百蛮に通じ、各々其の方賄を以て来貢せしめ、職業を忘るること無からしむ。是に於て粛慎楛矢石砮を貢す、長さ尺有咫。先王其の令徳を昭らかにせんと欲し、粛慎の矢を以て大姫に分かち、虞の胡公に配して諸を陳に封ず。同姓に分かつに珍玉を以てし、親を展ぶ。異姓に分かつに遠職を以てし、服を忘るること無からしむ。
-
孔子家語・困誓他日、霊公又夫子と語る、飛鴈の過ぐるを見て之を仰視し、色悦ばず。孔子乃ち逝く。
-
論語・子罕篇子曰わく、吾未だ徳を好むこと色を好むが如き者を見ず。