孔子家語 / 儒行解
孔子在衛。冉求言於季孫曰:「國有聖人而不能用,欲以求治,是猶卻步而欲求及前人,不可得已。今孔子在衛,衛將用之。己有才而以資鄰國,難以言智也。請以重幣迎之。」季孫以告哀公。公從之。孔子既至,舍。哀公館焉。公自阼階,孔子賓階,升堂立侍。
新字:孔子在衛。冉求言於季孫曰:「国有聖人而不能用,欲以求治,是猶卻歩而欲求及前人,不可得已。今孔子在衛,衛将用之。己有才而以資鄰国,難以言智也。請以重幣迎之。」季孫以告哀公。公従之。孔子既至,舎。哀公館焉。公自阼階,孔子賓階,升堂立侍。
書き下し
孔子衛に在り。冉求季孫に言いて曰く、「国に聖人有りて用うる能わず、以て治を求めんと欲するは、是れ猶お歩を却けて前人に及ばんと求むるがごとし、得べからざるなり。今孔子衛に在り、衛将に之を用いんとす。己に才有りて以て隣国に資す、智を言うを以てし難きなり。請う重幣を以て之を迎えん。」季孫以て哀公に告ぐ。公之に従う。孔子既に至り、舍る。哀公之を館す。公阼階よりし、孔子賓階よりして、堂に升りて立ち侍す。
現代語訳
孔子は衛の国に滞在していた。冉求が季孫氏に「国に聖人がいながらこれを用いることができず、それでいて国の治安を求めようとするのは、後ずさりしながら前の人に追いつこうとするようなもので、できるはずがありません。今、孔子は衛にいますが、衛は今にも彼を登用しようとしています。自国に才能ある人物がいながら、それを隣国のために役立てさせてしまうのは、賢明とは言えません。どうか手厚い贈り物をもってお迎えください」と進言した。季孫氏はこれを哀公に伝え、哀公はこれに従った。孔子が魯に到着すると、哀公は孔子を客舎に泊まらせた。哀公は主人の階段(阼階)から、孔子は客人の階段(賓階)から、それぞれ堂に上って控えて立った。
解説
本章は篇名「儒行解」の背景となる場面設定で、衛にいた孔子を魯に呼び戻すべきだと冉求が進言し、哀公がこれに応じて礼を尽くして孔子を迎える様子が描かれています。「後ずさりしながら前の人に追いつこうとするようなもの」という冉求の比喩は、優れた人材を活用しないまま国の発展を望むことの矛盾を鋭く突いています。また、哀公が主人の階段ではなく客人の階段を孔子に用いさせている描写は、賓客として最大限の敬意を払っていることを示しています。人材の価値を見極め、他に流出する前に迎え入れる姿勢は、現代の組織における人材確保の要諦にも通じます。
この章句が説くこと
冉求季孫哀公人材登用衛
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