孔子家語 / 七十二弟子解
曾參,南武城人,字子輿,少孔子四十六歲。志存孝道,故孔子因之以作孝經。齊嘗聘欲與為卿而不就,曰:「吾父母老,食人之祿,則憂人之事,故吾不忍遠親而為人役。」參後母遇之無恩,而供養不衰,及其妻以藜烝不熟,因出之。人曰:「非七出也。」參曰:「藜烝小物耳,吾欲使熟而不用吾命,況大事乎?」遂出之,終身不取妻。其子元請焉,告其子曰:「高宗以後妻殺孝已,尹吉甫以後妻放伯奇。吾上不及高宗,中不比吉甫,庸知其得免於非乎?」
新字:曽参,南武城人,字子輿,少孔子四十六歳。志存孝道,故孔子因之以作孝経。斉嘗聘欲与為卿而不就,曰:「吾父母老,食人之禄,則憂人之事,故吾不忍遠親而為人役。」参後母遇之無恩,而供養不衰,及其妻以藜烝不熟,因出之。人曰:「非七出也。」参曰:「藜烝小物耳,吾欲使熟而不用吾命,況大事乎?」遂出之,終身不取妻。其子元請焉,告其子曰:「高宗以後妻殺孝已,尹吉甫以後妻放伯奇。吾上不及高宗,中不比吉甫,庸知其得免於非乎?」
書き下し
曾參は、南武城の人、字は子輿、孔子より少きこと四十六歲。志、孝道に存す、故に孔子之に因りて以て孝經を作る。齊嘗て聘して與に卿と為さんと欲するも就かず、曰わく、「吾が父母老いたり、人の祿を食まば、則ち人の事を憂う、故に吾親を遠ざけて人の役と為るに忍びず」と。參の後母之に遇うに恩無きも、供養衰えず、其の妻藜烝の熟せざるを以て、因りて之を出す。人曰わく、「七出に非ざるなり」と。參曰わく、「藜烝は小物のみ、吾之を熟せしめんと欲するに吾が命を用いず、況んや大事をや」と。遂に之を出だし、終身妻を取らず。其の子元焉を請う、其の子に告げて曰わく、「高宗は後妻を以て孝已を殺し、尹吉甫は後妻を以て伯奇を放つ。吾上は高宗に及ばず、中は吉甫に比せず、庸んぞ其の非を免るるを得るを知らんや」と。
現代語訳
曾參は南武城の人で、字は子輿という。孔子より四十六歳年少であった。志が孝の道にあったため、孔子はこれにちなんで『孝経』を作った。斉の国がかつて彼を招いて卿の位につけようとしたが、彼はそれに応じず、こう言った。「私の父母は年老いている。人から俸禄を受ければ、その人の仕事のために心を悩ませねばならない。だから私は親から遠く離れて人に使われることに忍びないのだ」と。曾參の継母は彼に対して情け深くはなかったが、それでも彼は変わらず孝養を尽くした。ところが妻が藜(あかざ)の吸い物をよく煮なかったことを理由に、彼は妻を離縁した。人々が「それは七去(妻を離縁してよい七つの理由)には当たらない」と言うと、曾參は「藜の吸い物などささいなことだが、私がそれを煮るよう命じたにもかかわらず、その言いつけ通りにしなかった。ましてや大事であればなおさら従わないだろう」と答えた。こうして妻を離縁し、生涯再び妻を娶らなかった。その子の元がそのわけを尋ねると、子にこう告げた。「殷の高宗は後妻によって孝己を殺され、尹吉甫は後妻によって伯奇を追放した。私は上は高宗に及ばず、中は尹吉甫にも及ばない。どうして同じ過ちを免れられると言えようか」と。
解説
この章句が説くこと
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史記 仲尼弟子列伝曾参、南武城の人、字は子輿。孔子より少きこと四十六歳。孔子以て能く孝道に通ずと為し、故に之に業を授く。孝経を作る。魯に死す。
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孔子家語・六本曾子瓜を耘るに、誤りて其の根を斬る。曾晳怒りて大杖を建てて以て其の背を撃ち、曾子地に仆れて人を知らず。久しくして頃有り、乃ち蘇り、欣然として起つ。曾晳に進みて曰わく、「向に、参、大人に罪を得たり。大人力を用いて教う、参疾む無きを得んか。」退きて房に就き、琴を援きて歌い、曾晳をして之れを聞かしめ、其の体の康きを知らしめんと欲す。孔子之れを聞きて怒り、門弟子に告げて曰わく、「参来たるも内るる勿かれ。」曾参自ら以て罪無しと為し、人をして孔子に請わしむ。子曰わく、「汝聞かざるか。昔瞽瞍に子有り、舜と曰う。舜の瞽瞍に事うるや、之れを使わんと欲すれば、未だ嘗て側に在らざることなく、索めて之れを殺さんとすれば、未だ嘗て得可からず、小棰なれば則ち過ぐるを待ち、大杖なれば則ち逃走す。故に瞽瞍は父たらざるの罪を犯さずして、舜は烝烝の孝を失わず。今参、父に事うるに身を委ねて暴怒を待ち、殪るるも避けず。既に身死して父を不義に陥る、其の不孝孰か大ならん。汝は天子の民に非ずや。天子の民を殺さば、其の罪奚若ん。」曾参之れを聞きて曰わく、「参の罪大なり。」遂に孔子に造りて過ちを謝す。
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孔子家語・弟子行博くして學ばざる無し。其の貌恭しく、其の德敦し。其の言、人に於けるや、信ぜざる所無し。其の人に於けるや、常に浩浩を以てす。是を以て眉壽なり、是れ曾參の行なり。孔子曰わく、『孝は德の始めなり、悌は德の序なり、信は德の厚きなり、忠は德の正しきなり。參は夫の四德に中る者なり、此を以て之を稱す。』
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説苑・建本曾子瓜に芸りて誤りて其の根を斬る。曾晳怒り、大杖を援りて之を撃つ。曾子地に仆る。頃有りて蘇り、蹶然として起ち、進みて曰わく、「曩者参大人に罪を得たり。大人力を用いて参を教う、疾む無きを得んか」と。退きて屏に鼓琴して歌い、曾晳をして其の歌声を聴かしめ、其の平らかなるを知らしめんと欲す。孔子之を聞き、門人に告げて曰わく、「参来たらば内るる勿れ」と。曾子自ら以て罪無しとし、人をして孔子に謝せしむ。孔子曰わく、「汝聞かずや、瞽叟に子有り名づけて舜と曰うを。舜の父に事うるや、索めて之を使えば未だ嘗て側に在らずんばあらず、求めて之を殺さんとすれば未だ嘗て得可からず。小棰なれば則ち待ち、大棰なれば則ち走り、以て暴怒を逃る。今子身を委ねて以て暴怒を待ち、体を立てて去らず、身を殺して以て父を陥る、不義不孝孰か是より大ならん。汝天子の民に非ずや。天子の民を殺すの罪奚如」と。曾子の材を以て、又孔子の門に居りて、罪有りて自ら義に処する所を知らず、難きかな。
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孔子家語・在厄曾子弊衣して魯に耕す。魯君之を聞きて邑を致す。曾子固辞して受けず。或るひと曰わく、「子の求むるに非ず、君自ら之を致す。奚ぞ固辞するや。」曾子曰わく、「吾聞く、人の施しを受くる者は、常に人を畏れ、人に与うる者は、常に人に驕ると。縦い君賜有るとも、我を驕らざるなり。吾豈に能く畏るる勿からんや。」孔子之を聞きて曰わく、「参の言は以て其の節を全うするに足るなり。」
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