史記 / 仲尼弟子列伝
公冶長、齊人、字子長。孔子曰、長可妻也、雖在累紲之中、非其罪也。以其子妻之。南宮括字子容。問孔子曰、羿善射、奡盪舟、俱不得其死然、禹稷躬稼而有天下。孔子弗答。容出、孔子曰、君子哉若人、上德哉若人。國有道不廢、國無道免於刑戮。三復白珪之玷、以其兄之子妻之。公皙哀字季次。孔子曰、天下無行、多為家臣、仕於都、唯季次未嘗仕。曾蒧字皙。侍孔子、孔子曰、言爾志。蒧曰、春服既成、冠者五六人、童子六七人、浴乎沂、風乎舞雩、詠而歸。孔子喟爾嘆曰、吾與蒧也。
新字:公冶長、斉人、字子長。孔子曰、長可妻也、雖在累紲之中、非其罪也。以其子妻之。南宮括字子容。問孔子曰、羿善射、奡盪舟、倶不得其死然、禹稷躬稼而有天下。孔子弗答。容出、孔子曰、君子哉若人、上徳哉若人。国有道不廃、国無道免於刑戮。三復白珪之玷、以其兄之子妻之。公皙哀字季次。孔子曰、天下無行、多為家臣、仕於都、唯季次未嘗仕。曽蒧字皙。侍孔子、孔子曰、言爾志。蒧曰、春服既成、冠者五六人、童子六七人、浴乎沂、風乎舞雩、詠而帰。孔子喟爾嘆曰、吾与蒧也。
書き下し
公冶長、斉人、字は子長。孔子曰く、「長は妻はす可きなり、累紲の中に在りと雖も、其の罪に非ざるなり」と。其の子を以て之に妻はす。南宮括、字は子容。孔子に問ひて曰く、「羿は射を善くし、奡は舟を盪かすも、俱に其の死を得ず、禹・稷は躬ら稼して天下を有つ」と。孔子答へず。容出づ。孔子曰く、「君子なるかな若き人、上徳なるかな若き人」と。「国道有れば廃せられず、国道無くして刑戮を免る」と。三たび白珪の玷を復す。其の兄の子を以て之に妻はす。公皙哀、字は季次。孔子曰く、「天下行無く、多く家臣と為り都に仕ふ、唯季次のみ未だ嘗て仕へず」と。曾蒧、字は皙。孔子に侍る。孔子曰く、「爾の志を言へ」と。蒧曰く、「春服既に成り、冠者五六人、童子六七人、沂に浴し、舞雩に風し、詠じて帰らん」と。孔子喟爾として嘆じて曰く、「吾は蒧に与せん」と。
現代語訳
公冶長は斉の人で、字は子長。孔子は言った。「長には娘を嫁がせてよい。たとえ縄目の恥を受けて牢にいたことがあっても、それは彼の罪によるものではない」。そして自分の娘を嫁がせた。南宮括は字を子容という。孔子に尋ねた。「羿は弓の名手であり、奡は舟を陸で押し動かすほどの力持ちでしたが、どちらもまともな死に方をしませんでした。それに対して禹と稷は自ら農耕に励んで天下を得ました」。孔子は答えなかった。子容が退出すると、孔子は言った。「君子だな、この男は。徳の高い男だな」。「国に道があれば用いられ、国に道がなくても刑罰を免れる男だ」。子容は「白玉の傷は磨けば消せるが、言葉の傷は消せない」という詩句を、繰り返し三度口ずさんだ。孔子は兄の娘を彼に嫁がせた。公皙哀は字を季次という。孔子は言った。「天下に道が行われず、多くの者が家臣となって諸侯の都に仕えている。ただ季次だけは、一度も仕えたことがない」。曾蒧は字を皙という。孔子のそばに侍っていた。孔子が言った。「お前の志を言ってみよ」。蒧は言った。「春の衣が仕立て上がるころ、若者五、六人、子ども六、七人と、沂水で水浴びし、舞雩の台で風に吹かれ、歌いながら帰ってきたいものです」。孔子は深くため息をついて言った。「私は蒧に賛成だ」。
解説
この章句が説くこと
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孔子家語・七十二弟子解公冶長は、魯の人、字は子長。人と為り恥を忍ぶに能く、孔子女を以て之に妻せり。
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論語・公冶長篇子、公冶長を謂いて曰く、『妻すべし。縲絏(るいせつ)の中に在りと雖も、其の罪に非ず。』と。其の子を以て之に妻す。
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『十善法語』巻第一・不殺生戒第五ニ言語正ク五声七音ワカルルシヤ。其義理カソナハルシヤ。不綺語戒ノ影ハ先カウシタモノシヤ。畜生ハ。牛ハ牛。馬ハ馬。杜鵑ハ杜鵑。鷺ハ鷺。各其一様ノ声ノミ有テ。其中事事不具足ナルシヤ。綺語業道ソノ影カクノ如クシヤ。仏経ノ中ニ。禽獣ノ語言セシ縁アリ。世典ノ中ニ。雀カ公冶長ニ告ケ。南山有虎ナトト云シ類ハ別途ノ事ニテ。禽獣ノアタリ前テハナキシヤ。第六ニ舌根モ柔軽ナルシヤ。詠歌諷吟モナセハナサルルシヤ。三管モ奏セラルル。経陀羅尼モ読メハ読マルルシヤ。不悪口戒ノ影ハ先カウシタモノシヤ。畜生ハ舌根麁獷ナルモノニテ。内外ノ経論ヲ読コトモナラス。ヨキコトニ用ルコトノナラヌモノシヤ。鷺杜鵑山カラナトカ音声ノ人間ノ耳ヲヨロコハシムルモ。彼カ自ノアタリマヘハ苦悩羸劣ノ声シヤ。悪口業道。ソノ影カクノ如クシヤ。鸚鵡カ能ク言モ此ニ類シテ知レ。
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史記 仲尼弟子列伝孔子易を瞿に伝へ、瞿楚人馯臂子弘に伝へ、弘江東の人矯子庸疵に伝へ、疵燕人周子家豎に伝へ、豎淳于の人光子乗羽に伝へ、羽斉人田子荘何に伝へ、何東武の人王子中同に伝へ、同菑川の人楊何に伝ふ。何元朔中に易を治むるを以て漢の中大夫と為る。高柴、字は子羔。孔子より少きこと三十歳。子羔長五尺に盈たず、業を孔子に受く、孔子以て愚と為す。子路子羔をして費郈の宰と為らしむ、孔子曰く、「夫の人の子を賊ふ」と。子路曰く、「民人有り、社稷有り、何ぞ必ずしも書を読みて然る後に学と為さん」と。孔子曰く、「是の故に夫の佞者を悪む」と。漆彫開、字は子開。孔子開をして仕へしめんとす、対へて曰く、「吾斯を之れ未だ信ずる能はず」と。孔子説ぶ。公伯繚、字は子周。周子路を季孫に訴ふ、子服景伯以て孔子に告げて、曰く、「夫子固より惑志有り、繚や、吾が力猶ほ能く諸を市朝に肆さん」と。孔子曰く、「道の将に行はれんとするや、命なり。道の将に廃れんとするや、命なり。公伯繚其れ命を如何せん」と。司馬耕、字は子牛。牛多言にして躁なり。仁を孔子に問ふ、孔子曰く、「仁者は其の言や訒」と。曰く、「其の言や訒、斯に之を仁と謂ふべきか」と。子曰く、「之を為すこと難し、之を言ふに訒なること無きを得んや」と。君子を問ふ、子曰く、「君子は憂へず懼れず」と。曰く、「憂へず懼れず、斯に之を君子と謂ふべきか」と。子曰く、「内に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂へ何をか懼れん」と。樊須、字は子遅。孔子より少きこと三十六歳。樊遅稼を学ばんことを請ふ、孔子曰く、「吾老農に如かず」と。圃を学ばんことを請ふ、曰く、「吾老圃に如かず」と。樊遅出づ、孔子曰く、「小人なるかな樊須や。上礼を好めば、則ち民敢へて敬せざる莫し。上義を好めば、則ち民敢へて服せざる莫し。上信を好めば、則ち民敢へて情を用ひざる莫し。夫れ是くの如くんば、則ち四方の民其の子を襁負して至らん、焉んぞ稼を用ひん」と。樊遅仁を問ふ、子曰く、「人を愛す」と。智を問ふ、曰く、「人を知る」と。有若は孔子より少きこと四十三歳。
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史記 仲尼弟子列伝有若曰く、「礼の用は、和を貴しと為す、先王の道も斯を美と為す。小大之に由れば、行はれざる所有り。和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、亦行はるべからざるなり」と。「信義に近ければ、言復むべきなり。恭礼に近ければ、恥辱に遠ざかるなり。因ること其の親を失はざれば、亦宗とすべきなり」と。孔子既に没し、弟子思慕し、有若の状孔子に似たれば、弟子相与に共に立てて師と為し、之に師事すること夫子の時の如くす。他日、弟子進みて問ひて曰く、「昔夫子当に行かんとするに、弟子をして雨具を持たしむ、已にして果たして雨ふる。弟子問ひて曰く、『夫子何を以て之を知る』と。夫子曰く、『詩に云はずや、「月畢に離れば、滂沱たらしむ」と。昨暮月畢に宿らざりしか』と。他日、月畢に宿るも、竟に雨ふらず。商瞿年長じて子無し、其の母為に室を取らんとす。孔子之をして斉に使ひせしめんとす、瞿の母之を請ふ。孔子曰く、『憂ふること無かれ、瞿年四十の後当に五丈夫子有るべし』と。已にして果たして然り。問ふ夫子何を以て此を知りしか」と。有若黙然として以て応ふる無し。弟子起ちて曰く、「有子之を避けよ、此れ子の座に非ざるなり」と。公西赤、字は子華。孔子より少きこと四十二歳。子華斉に使ひす、冉有其の母の為に粟を請ふ。孔子曰く、「之に釜を与へよ」と。益を請ふ、曰く、「之に庾を与へよ」と。冉子之に粟五秉を与ふ。孔子曰く、「赤の斉に適くや、肥馬に乗り、軽裘を衣る。吾聞く君子は急を周ひて富を継がずと」と。巫馬施、字は子旗。孔子より少きこと三十歳。陳の司敗孔子に問ひて曰く、「魯の昭公は礼を知るか」と。孔子曰く、「礼を知る」と。退きて巫馬旗に揖して曰く、「吾聞く君子は党せずと、君子も亦党するか。魯君呉の女を娶りて夫人と為し、之に命じて孟子と為す。孟子の姓は姫なり、同姓と称するを諱む、故に之を孟子と謂ふ。魯君にして礼を知らば、孰か礼を知らざらん」と。施以て孔子に告ぐ、孔子曰く、「丘や幸ひなり、苟も過ち有れば、人必ず之を知る。
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史記 仲尼弟子列伝孔子曰く、「業を受け身に通ずる者七十有七人」、皆異能の士なり。徳行には、顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓、政事には、冉有・季路、言語には、宰我・子貢、文学には、子游・子夏あり。師や辟、参や魯、柴や愚、由や喭、回や屢々空し、賜は命を受けずして貨殖し、億すれば則ち屢々中る。孔子の厳事する所は、周に於いては老子、衛に於いては蘧伯玉、斉に於いては晏平仲、楚に於いては老萊子、鄭に於いては子産、魯に於いては孟公綽なり。
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