孔子家語 / 七十二弟子解
公西赤,魯人,字子華,少孔子四十二歲。束帶立朝,閑賓主之儀。
新字:公西赤,魯人,字子華,少孔子四十二歳。束帯立朝,閑賓主之儀。
書き下し
公西赤は、魯の人、字は子華、孔子より少きこと四十二歲。帶を束ねて朝に立ち、賓主の儀に閑わし。
現代語訳
公西赤は魯の国の人で、字は子華という。孔子より四十二歳年少であった。礼服の帯を整えて朝廷に立ち、賓客をもてなす儀礼に精通していた。
解説
公西赤、字を子華という弟子は、礼装を整えて朝廷に仕え、外交儀礼や賓客をもてなす作法に通じていたことで知られています。論語にも、孔子が弟子たちにそれぞれの志を問うた際、子華が礼服を着けて朝廷の儀礼を助ける役を控えめに志したと伝えられる場面があり、儀礼の実務を丁寧に担う姿勢がうかがえます。派手な功績や地位を求めるのではなく、儀礼という細やかな実務を通じて組織を支えようとした子華の姿は、目立たない役割であっても専門性を磨き着実に貢献することの価値を、現代の実務家にも示しています。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
公西赤子華礼儀賓客朝廷
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・應務・相忘るるの怒詈相嫌ふの敬慎は、相忘るるの怒詈に若かず。
-
『十七条憲法』第四条四に曰わく、群臣(まえつきみ)百寮(もものつかさ)、礼を以て本(もと)と為(せ)よ。其れ民を治むるの本、要(かなめ)は礼に在り。上(かみ)礼無くんば下(しも)斉(ととの)わず。下(しも)礼無くんば以て必ず罪有り。是(ここ)を以て、群臣礼有れば、位次(くらい)乱れず。百姓(ひゃくせい)礼有れば、国家(こっか)自(おのずか)ら治まる。
-
葉隠・聞書第一何某(なにがし)へ町方(まちかた)の何某が訴状(そじょう)を渡すべしと申し候時、請け取るまじきと申し候を、何某が居合わせ、「まず請け取り置き候て、無用と候わば返し申され候えかし」と申し候に付いて、「さらば請け取り置くべし」と申し候時、「請け取らせる物を請け取らずに置く事がなるものか」と、いやしめ申され候由、話す人あり。役所々々(やくしょやくしょ)にて慇懃に取り合うのが士の作法にてあらずとなり。
-
『酔古堂剣掃』集靈・終に泥塑の人と成る子弟の排場は、舉止有りて飛揚を謝すれば、纏頭の錦を博し難く、主賓の禦席は、廉隅を務めて蘊藉少なければ、終に泥塑の人と成る。
-
孟子・離婁章句上樂正子、子敖に從いて齊に之く。樂正子、孟子に見ゆ。孟子曰く、「子も亦た來たりて我を見るか。」曰く、「先生何為れぞ此の言を出だすや。」曰く、「子來たること幾日ぞ。」曰く、「昔者なり。」曰く、「昔者ならば、則ち我、此の言を出だすも、亦た宜ならずや。」曰く、「舍館未だ定まらざればなり。」曰く、「子、之を聞けりや。舍館定まりて、然る後に長者に見ゆることを求むるか。」曰く、「克、罪有り。」 <語釈> ○「樂正子」、趙注:魯の人樂正克、孟子の弟子なり、齊の右師子敖に從う、子敖、使いして魯に之く、樂正子、之に随い、來たりて齊に之く。○「昔者」、趙注:「昔者」は往なり、數日の閒を謂う。
-
『政談』內曲輪外曲輪御門番の事内曲輪にて供の者に笠を脱かする事内曲輪外曲輪の御門にては笠を脱がすへし、馬乗は片鐙を外つし、乗物は女中病人の外は戸を明くへし、箱根等の関所にてさへ辞儀有り、畢竟御城の廓門なる故礼儀斯の如くなるへし、古礼には公門に式すと云ふこと有るなり、近頃内曲輪にて供のものに日照笠をかふらせさすこと是れは聞えさること也、惣して供のものゝ日照笠をかふると云ふこと昔はなきことなり、御先々前御代に下々の炎天に頭を照らせらるゝを不憫に思召して上意あるより、承り伝へ人々炎天に笠をかふせたり、されとも屹としたる仰渡れもなけれは、二三年の間はかふらするものもあり、かふらせぬものもあり、その主人〳〵の心次第也、後は一同に風俗となりてかふせたり、されとも其主人かふれと云はされは下々もかふらす、是れ元来己か主人への礼儀にてかふらぬと云ふ事を下々も知りて斯の如し、屹としたる仰渡されなとも元来かふらぬこと故、飛越して公儀より仰渡さるゝ筋にもあらす、