孔子家語 / 七十二弟子解
公西赤,魯人,字子華,少孔子四十二歲。束帶立朝,閑賓主之儀。
新字:公西赤,魯人,字子華,少孔子四十二歳。束帯立朝,閑賓主之儀。
書き下し
公西赤は、魯の人、字は子華、孔子より少きこと四十二歲。帶を束ねて朝に立ち、賓主の儀に閑わし。
現代語訳
公西赤は魯の国の人で、字は子華という。孔子より四十二歳年少であった。礼服の帯を整えて朝廷に立ち、賓客をもてなす儀礼に精通していた。
解説
公西赤、字を子華という弟子は、礼装を整えて朝廷に仕え、外交儀礼や賓客をもてなす作法に通じていたことで知られています。論語にも、孔子が弟子たちにそれぞれの志を問うた際、子華が礼服を着けて朝廷の儀礼を助ける役を控えめに志したと伝えられる場面があり、儀礼の実務を丁寧に担う姿勢がうかがえます。派手な功績や地位を求めるのではなく、儀礼という細やかな実務を通じて組織を支えようとした子華の姿は、目立たない役割であっても専門性を磨き着実に貢献することの価値を、現代の実務家にも示しています。
この章句が説くこと
公西赤子華礼儀賓客朝廷
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