孔子家語 / 七十二弟子解
宓不齊,魯人,字子賤,少孔子四十九歲。仕為單父宰,有才智,仁愛百姓不忍欺。孔子大之。
新字:宓不斉,魯人,字子賤,少孔子四十九歳。仕為単父宰,有才智,仁愛百姓不忍欺。孔子大之。
書き下し
宓不齊は、魯の人、字は子賤、孔子より少きこと四十九歲。仕えて單父の宰と為り、才智有り、百姓を仁愛す、民欺くに忍びず。孔子之を大とす。
現代語訳
宓不斉は魯の国の人で、字は子賤という。孔子より四十九歳年少であった。仕えて単父の長官となり、才知に優れ、人々を慈しみ愛したので、民は彼を欺くことができなかった。孔子はこれを高く評価した。
解説
宓不斉、字を子賤という弟子は、単父の地を治めた際の統治ぶりで名高い人物です。才知に優れているだけでなく、民を慈しみ愛したことで、民の側もその人柄を慕い、あえて欺こうとしなかったと伝えられています。これは、力による統治ではなく、徳と愛情による感化によって治安と秩序が保たれたことを示す逸話であり、孔子はこの治め方を高く評価しました。規則や監視の強化ではなく、為政者自身の人格と愛情が人々の自発的な信頼と協力を引き出すという考え方は、現代のリーダーシップ論にも通じる普遍的な示唆を含んでいます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
宓不斉子賤単父仁愛統治
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