史記 / 仲尼弟子列伝
曾參,南武城人,字子輿。少孔子四十六歳。孔子以爲能通孝道,故授之業。作。死於魯。
新字:曽参,南武城人,字子輿。少孔子四十六歳。孔子以為能通孝道,故授之業。作。死於魯。
書き下し
曽参は、南武城の人、字は子輿。孔子より少きこと四十六歳。孔子以為へらく能く孝道に通ずと、故に之に業を授く。作る。魯に死す。
現代語訳
曽参(そうしん)は南武城の人で、字を子輿(しよ)という。孔子より四十六歳年下である。孔子は彼が孝の道によく通じていると考え、そこで学業を授けた。(曽参は『孝経』を)作った。魯で亡くなった。
解説
曽子として知られる曽参の、きわめて短い伝です。孔子が孝の道に通じた人物と見込んで教えを授け、曽参は『孝経』を作ったとされ、魯で没しました。のちに儒家の正統を孔子から孫の子思へ、さらに孟子へとつなぐ人物として重んじられ、『論語』でも「吾日に三たび吾が身を省みる」の言葉で知られます。司馬遷がこれほど重要な弟子の伝をわずか数行で済ませたのは、手元の資料が少なかったためと考えられます。なお、この一節は「作る」の目的語にあたる書名が欠けた形で伝わっており、訳では『孝経』を補いました。家族を大切にする姿勢を学問の中心に据えた人物の存在は、仕事の成果だけでなく、身近な人との関係を問い直すきっかけにもなります。
この章句が説くこと
曽参一途な深さ孝道孝経内省愚直
関連する章句
-
尚書・無逸小人汝を怨み汝を詈らば、則ち皇に自ら德を敬しめ。
-
葉隠・聞書第一浪人の身にて、上を怨み候事〔あり〕。何某(なにがし)浪人、内実(ないじつ)に非を知りて崩す。前方(ぜんぽう)仰付(おおせつけ)御断(おことわ)り、二度目に御請誓詞(おうけせいし)の事。同筋(どうすじ)にて浪人の事。斯様(かよう)の我が非を存ぜざる間(あいだ)は、帰参有るまじき事。今にも御情(おなさけ)無きの、誰がにくい者などと計(ばか)り、胸をこがし候て、なお天道(てんとう)の悪(にく)みを受くるなり。何某の評判に、御罰(おばち)よと申されたるとなり。人がのがれぬなり。罪一人に有りと思い返され候え。
-
言志四録・言志後録 第八条 往時の経歴を追思す人は当に往時経歴の事迹を追思すべし。某年為す所、孰れか是れ当否、孰れか是れ生熟。某年謀る所、孰れか是れ穏妥、孰れか是れ過差。此を以て将来の鑑戒と為して可なり。然らずんば、徒爾に汲汲営営として、前途を算へ、来日を計るも、亦何の益か之れ有らん。又尤も当に幼穉の時の事を憶ひ起こすべし。父母鞠育乳哺の恩、顧復懐抱の労、撫摩憫恤の厚き、訓戒督責の切なる、凡そ其の艱苦して我を長養せし所以の者、悉く以て之を追思せざる無くんば、則ち今の自ら吾が身を愛して、肯へて自ら軽んぜざる所以の者も、亦宜しく至らざる所無かるべし。
-
『酔古堂剣掃』集法・靜坐して然る後に氣の浮けるを知る靜坐して然る後に平日の氣の浮けるを知り、默を守りて然る後に平日の言の躁がしきを知り、事を省きて然る後に平日の閑を貴ぶを知り、戶を閉ぢて然る後に平日の交はりの濫りなるを知り、欲を寡なくして然る後に平日の病ひの多きを知り、情に近づきて然る後に平日の念の刻なるを知る。
-
人物志・釋爭惑繆為ること豈に甚だしからずや。然れども其の由る所を原ぬるに、豈に躬自ら厚く責めて以て変訟を致す者有らんや。皆内恕足らずして、外望已まざるに由る。或いは彼の我を軽んずるを怨み、或いは彼の己に勝るを疾む。夫れ我薄くして彼之を軽んずるは、則ち我曲にして彼直なるに由るなり。我賢にして彼知らざるは、則ち軽んぜらるるも我が咎に非ざるなり。
-
易経・觀卦周易 第二十卦。坤下巽上。易経。観は、盥いて荐めず、孚有りて顒若たり。初六、童観す、小人は咎无し、君子は吝。六二、窺い観る、女の貞に利ろし。六三、我が生を観て、進退す。六四、国の光を観る、用て王に賓たるに利ろし。九五、我が生を観る、君子なれば咎无し。上九、其の生を観る、君子なれば咎无し。彖に曰く、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る