孔子家語 / 七十二弟子解
卜商,衛人,無以尚之。嘗返衛,見讀史志者云:「晉師伐秦,三豕渡河。」子夏曰:「非也,己亥耳。」讀史志曰:「問諸晉史果曰己亥。」於是衛以子夏為聖。孔子卒後,教於西河之上,魏文侯師事之,而諮國政焉。
新字:卜商,衛人,無以尚之。嘗返衛,見読史志者云:「晉師伐秦,三豕渡河。」子夏曰:「非也,己亥耳。」読史志曰:「問諸晉史果曰己亥。」於是衛以子夏為聖。孔子卒後,教於西河之上,魏文侯師事之,而諮国政焉。
書き下し
卜商は、衛の人、以て之に尚うる無し。嘗て衛に返るに、史志を読む者の「晉師秦を伐ち、三豕河を渡る」と云うを見る。子夏曰わく、「非なり、己亥のみ」と。史志を読む者曰わく、「諸を晉史に問うに果たして己亥と曰う」と。是に於て衛は子夏を以て聖と為す。孔子卒するの後、西河の上に教え、魏の文侯之を師事し、國政を諮る。
現代語訳
卜商は衛の国の人で、彼に並ぶ者はいなかった。かつて衛に帰った際、歴史記録を読んでいる者が「晋の軍が秦を討ち、三頭の豚が黄河を渡った」と言うのを耳にした。子夏は「それは誤りで、正しくは『己亥』(の日)である」と言った。史書を読んでいた者が晋の史官に問い合わせたところ、はたして「己亥」であった。これによって衛の人々は子夏を聖人のように敬った。孔子が亡くなった後、子夏は西河のほとりで教えを説き、魏の文侯はこれを師として仕え、国政について助言を求めた。
解説
卜商、字を子夏という弟子は、経書の伝承と文献批判に優れた学者として知られています。ここに記されるのは、史書の文字の誤りを見抜いた逸話で、「三豕渡河」という記述が実は「己亥」の書き誤りであることを子夏が指摘し、後に晋の史官に確認すると果たしてその通りであったという話です。文字の形が似ていることによる書写の誤りを、文脈と知識から正確に見抜いたこの逸話により、子夏は聖人のごとく敬われたと伝えられます。孔子の没後は西河のほとりで教育にあたり、魏の文侯が師として仕え国政の相談役としたことも記されており、経学の伝承者として大きな影響力を持った人物であったことがうかがえます。細部の誤りを見過ごさず、根拠に基づいて正しく判断する姿勢は、情報の真偽が問われる現代にも通じる教訓です。
この章句が説くこと
卜商子夏文献批判己亥渡河魏文侯
関連する章句
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