呂氏春秋 / 察傳③
子夏之晉,過衛,有讀史記者曰:「晉師三豕涉河。」子夏曰:「非也,是己亥也。夫『己』與『三』相近,『豕』與『亥』相似。」至於晉而問之,則曰「晉師己亥涉河」也。辭多類非而是,多類是而非。是非之經,不可不分,此聖人之所慎也。然則何以慎?緣物之情及人之情以為所聞則得之矣。
新字:子夏之晉,過衛,有読史記者曰:「晉師三豕渉河。」子夏曰:「非也,是己亥也。夫『己』与『三』相近,『豕』与『亥』相似。」至於晉而問之,則曰「晉師己亥渉河」也。辞多類非而是,多類是而非。是非之経,不可不分,此聖人之所慎也。然則何以慎?縁物之情及人之情以為所聞則得之矣。
書き下し
子夏、晉に之かんとして、衛を過ぎ、史の記を讀む者有りて曰く、「晉の師三豕河を渉る。」子夏曰く、「非なり。是れ己亥なり。夫れ己と三とは相近く、豕と亥とは相似たればなり。」晉に至りて之を問うに、則ち曰く、「晉の師己亥河を渉るなり。」辭は非に類して是なるもの多く、是に類して非なるもの多し。是非の經、分かたざる可からず。此れ聖人の慎む所なり。然らば則ち何を以てか慎まん。物の情と人の情とに縁りて、以て聞く所を為めば、則ち之を得ん。
現代語訳
子夏が晋へ行こうとして衛を通りかかると、史書を読む者がいて「晋の軍が三匹の豚とともに河を渡った」と言った。子夏は「それは誤りだ。己亥(の日)である。己と三とは字形が近く、豕と亥とは似ているからだ」と言った。晋に着いて確かめると、はたして「晋の軍が己亥の日に河を渡った」であった。言葉には、誤りに見えて実は正しいものが多く、正しく見えて実は誤りのものも多い。是と非の筋道は、はっきり見分けなければならない。これこそ聖人が慎重にするところである。ではどのようにして慎重にするのか。物事の道理と人情とに照らして聞いた話を判断すれば、真実を得られるのである。
解説
子夏が、衛で「晋の軍が三匹の豚と河を渡った(三豕渉河)」と誤読しているのを聞き、字形の似た「己亥渉河」の誤りだと見抜き、晋で確かめてその通りだった逸話です。「己」と「三」、「豕」と「亥」の字形が似ているために生じた誤りで、篇の締めくくりとして、言葉には誤りに見えて正しいもの、正しく見えて誤りのものが多いと述べます。だから是非の筋道をはっきり見分けることが聖人の慎むところであり、その方法は物事の道理と人情に照らして判断することだと結びます。写本の誤写や伝聞の変質が知識を歪める危うさを示す好例です。もっともらしい情報を鵜呑みにせず、道理と常識に照らして真偽を吟味せよという教えは、この篇「察傳」全体の主題であり、現代の情報検証にも通じます。
この章句が説くこと
察伝子夏三豕渉河己亥誤写是非
関連する章句
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孔子家語・七十二弟子解卜商は、衛の人、以て之に尚うる無し。嘗て衛に返るに、史志を読む者の「晉師秦を伐ち、三豕河を渡る」と云うを見る。子夏曰わく、「非なり、己亥のみ」と。史志を読む者曰わく、「諸を晉史に問うに果たして己亥と曰う」と。是に於て衛は子夏を以て聖と為す。孔子卒するの後、西河の上に教え、魏の文侯之を師事し、國政を諮る。
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呂氏春秋・察傳①夫れ言を得ては以て察せざる可からず。數傳すれば白は黑と為り、黑は白と為る。故に狗は玃に似、玃は母猴に似、母猴は人に似たり。人の狗とは則ち遠し。此れ愚者の大いに過つ所以なり。聞きて審にすれば則ち福い為り、聞きて審にせざれば、聞くこと無きに若かず。齊の桓公は管子を鮑叔に聞き、楚莊は孫叔敖を沈尹筮に聞きて、之を審らかにす。故に國、諸侯に霸たり。呉王は越王句踐を太宰嚭に聞き、智伯は趙襄子を張武に聞きて、審らかにせざるなり。故に國亡び身死せるなり。
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呂氏春秋・察傳②凡そ言を聞くには必ず熟論し、其の人に於けるや、必ず之を驗するに理を以てす。魯の哀公、孔子に問いて曰く、「樂正夔は一足なりとは、信なるか。」孔子曰く、「昔者、舜、樂を以て教えを天下に傳えんと欲し、乃ち重黎をして夔を草莽の中より舉げて之を進めしむ。舜以て樂正と為す。夔、是に於て六律を正し、五聲を和し、以て八風に通ぜしめて、天下大いに服す。重黎又益々人を求めんと欲す。舜曰く、『夫れ樂は天地の精なり、得失の節なり。故に唯だ聖人のみ能く和すと為す。樂の本なり、夔能く之を和して、以て天下を平らかにす。夔の若き者は一にして足れり。』故に夔は一にして足る、と曰う。一足に非ざるなり。」宋の丁氏は、家に井無くして出でて溉汲するに、常に一人外に居る。其の家、井を穿つに及び、人に告げて曰く、「吾井を穿ちて一人を得たり。」聞きて之を傳うる者有りて曰く、「丁氏井を穿ちて一人を得たり。」國人之を道い、之を宋君に聞す。宋君、人をして之を丁氏に問わしむ。丁氏對えて曰く、「一人の使いを得たり。一人を井中に得たるに非ざるなり。」能を求むるの此の若くんば、聞くこと無きに若かざるなり。
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呂氏春秋・察微①治亂存亡をして高山と深谿との若く、白堊と黑漆との若くならしめば、則ち智を用うる所無し、愚と雖も猶ほ可なり。且つ治亂存亡は則ち然らず、知る可きが如く、知らざる可きが如く、見る可きが如く、見ざる可きが如し。故に智士賢者は相與に積心愁慮して以て之を求むれども、猶尚ほ管叔・蔡叔の事と、東夷八國聽かざるの謀と有り。故に治亂存亡は、其の始めは秋毫の若し。其の秋毫を察すれば、則ち大物は過たず。
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呂氏春秋・謹聽①昔者、禹は一たび沐して三たび髪を捉え、一たび食して三たび起ち、以て有道の士を禮す。己の足らざるを通ぜんとすればなり。己の足らざるを通ずれば、則ち物と爭わず。愉易平靜、以て之を待ち、夫をして自ら之を得しめ、然るに因りて之を然りとし、夫をして自ら之を言わしむ。亡國の主は此に反す。乃ち自ら賢なりとして人を少なしとす。人を少なしとすれば、則ち説者容を持して極さず。聽く者は自ら多として得ず。天下を有つと雖も何ぞ益せん。是れ乃ち冥を之れ昭とし、亂を之れ定とし、毀を之れ成とし、危を之れ寧とす。故に殷・周以て亡び、比干以て死するも、誖りて以て舉ぐるに足らず。故に人主の性は、疑う所に過つこと莫くして、其の疑わざる所に過つ。知らざる所に過たずして、其の以て知る所に過つ。故に疑わずと雖も、已に知ると雖も、必ず之を察するに法を以てし、之を揆るに量を以てし、之を驗するに數を以てす。此くの若くなれば則ち是非失う所無くして、舉措過つ所無し。
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呂氏春秋・精諭⑥晉の襄公、人を周に使わして曰く、「弊邑の寡君、疾に寝ね、卜するに守龜を以てせしに、曰えらく、『三塗祟を為す。』弊邑の寡君、下臣をして途を籍りて福いを祈ることを願わしむ。」天子之を許し、朝して使者を禮す。事畢わりて客出づ。萇弘、劉康公に謂いて曰く、「夫れ福いを三塗に祈りて、禮を天子に受く。此れ柔嘉の事なり。而るに客に武色あり。殆ど他事有らん。願わくは公之に備えよ。」劉康公乃ち戎車卒士を儆めて以て之を待たしむ。晉果して祭事をして先だたしめ、因りて楊子をして卒十二萬を将いて之に隨い、棘津を渉り、聊阮・梁・蠻氏を襲わしめ、三國を滅ぼせり。此れ形名の相當たらざるは、聖人の察する所なり。萇弘は則ち審らかなり。故に言は以て事を斷ずるに足らず、唯だ言の謂を知る者のみ可と為す。