孔子家語 / 七十二弟子解
端木賜,字子貢,衛人,有口才著名。
書き下し
端木賜は、字は子貢、衛の人、口才有るを以て著名なり。
現代語訳
端木賜は字を子貢といい、衛の国の人である。弁舌の才があることで名高かった。
解説
端木賜、字を子貢という弟子は、弁舌の才に優れ、外交や商才にも長けた人物として知られています。論語には孔子との問答が数多く記され、孔子の教えを深く理解しつつ、諸国を巡り外交交渉で活躍したことや、商売によって富を築いたことも伝えられています。単に口が達者というだけでなく、状況を的確に読み取り、言葉を用いて物事を動かす力を備えていた人物といえます。子貢のように、豊かな言語能力と実務の才を兼ね備え、学問を現実の場で活かしていく姿勢は、知識を実社会で生かそうとする現代の学び手にとっても一つの理想像となります。

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端木賜子貢弁舌外交孔子
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史記 仲尼弟子列伝子貢因りて去りて晋に之き、晋君に謂ひて曰く、「臣之を聞く、慮先づ定まらざれば以て卒に応ずべからず、兵先づ弁ぜざれば以て敵に勝つべからずと。今夫れ斉と呉と将に戦はんとす、彼戦ひて勝たずんば、越之を乱すこと必せり。斉と戦ひて勝たば、必ず其の兵を以て晋に臨まん」と。晋君大いに恐れて、曰く、「之を為すこと柰何」と。子貢曰く、「兵を修め卒を休めて以て之を待て」と。晋君許諾す。子貢去りて魯に之く。呉王果たして斉人と艾陵に戦ひ、大いに斉の師を破り、七将軍の兵を獲て帰らず、果たして兵を以て晋に臨み、晋人と黄池の上に相遇ふ。呉晋彊を争ふ。晋人之を撃ち、大いに呉の師を敗る。越王之を聞き、江を渉りて呉を襲ひ、城を去ること七里にして軍す。呉王之を聞き、晋を去りて帰り、越と五湖に戦ふ。三たび戦ひて勝たず、城門守らず、越遂に王宮を囲み、夫差を殺して其の相を戮す。呉を破りて三年、東に向かひて霸たり。故に子貢一たび出でて、魯を存し、斉を乱し、呉を破り、晋を彊くして越を霸たらしむ。子貢一たび使ひして、勢ひをして相破らしめ、十年の中、五国各々変有り。子貢は廃挙を好み、時と与に貨貲を転ず。喜んで人の美を揚げ、人の過ちを匿す能はず。常に魯衛に相たり、家千金を累ね、卒に斉に終はる。
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史記 仲尼弟子列伝子貢をして南のかた呉王に見えしむ。説きて曰く、「臣之を聞く、王者は世を絶たず、霸者は彊敵無し、千鈞の重きも銖両を加ふれば移る。今万乗の斉を以て千乗の魯を私し、呉と彊を争ふ、竊かに王の為に之を危ぶむ。且つ夫れ魯を救ふは、名を顕すなり。斉を伐つは、大利なり。以て泗上の諸侯を撫し、暴斉を誅して以て彊晋を服せしむ、利焉より大なるは莫し。名は亡魯を存し、実は彊斉を困しむ。智者は疑はざるなり」と。呉王曰く、「善し。然りと雖も、吾嘗て越と戦ひ、之を会稽に棲ましむ。越王身を苦しめ士を養ひ、我に報ゆるの心有り。子我の越を伐つを待ちて子に聴かん」と。子貢曰く、「越の勁きは魯に過ぎず、呉の彊きは斉に過ぎず、王斉を置きて越を伐たば、則ち斉已に魯を平らげん。且つ王方に亡を存し絶を継ぐを以て名と為す、夫れ小越を伐ちて彊斉を畏るるは、勇に非ざるなり。夫れ勇者は難を避けず、仁者は約に窮せず、智者は時を失はず、王者は世を絶たず、以て其の義を立つ。今越を存して諸侯に示すに仁を以てし、魯を救ひ斉を伐ち、威晋国に加はらば、諸侯必ず相率ゐて呉に朝し、霸業成らん。且つ王必ず越を悪まば、臣請ふ東のかた越王に見え、兵を出だして以て従はしめん、此れ実は越を空しくし、名は諸侯に従ひて以て伐つなり」と。呉王大いに説び、乃ち子貢をして越に之かしむ。越王道を除ひて郊に迎へ、身ら御して舎に至りて問ひて曰く、「此れ蛮夷の国なり、大夫何を以て儼然として辱くも之に臨むや」と。子貢曰く、「今者吾呉王に説くに魯を救ひ斉を伐つを以てす、其の志之を欲すれども越を畏る、曰く『我の越を伐つを待ちて乃ち可なり』と。此くの如くんば、越を破ること必せり。且つ夫れ人に報ゆるの志無くして人をして之を疑はしむるは、拙なり。人に報ゆるの志有りて、人をして之を知らしむるは、殆ふし。事未だ発せずして先づ聞こゆるは、危ふし。三者は事を挙ぐるの大患なり」と。
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史記 仲尼弟子列伝句践頓首再拝して曰く、「孤嘗て力を料らず、乃ち呉と戦ひ、会稽に困しみ、痛み骨髄に入り、日夜唇を焦がし舌を乾かし、徒だ呉王と踵を接して死せんと欲す、孤の願ひなり」と。遂に子貢に問ふ。子貢曰く、「呉王は人と為り猛暴にして、群臣堪へず。国家は数々戦ふを以て敝れ、士卒忍びず。百姓上を怨み、大臣内に変ず。子胥諫むるを以て死し、太宰嚭事を用ひ、君の過ちに順ひて以て其の私を安んず。是れ国を残ふの治なり。今王誠に士卒を発して之を佐けて其の志を徼め、重宝以て其の心を説ばしめ、卑辞以て其の礼を尊ばば、其の斉を伐つこと必せり。彼戦ひて勝たずんば、王の福なり。戦ひて勝たば、必ず兵を以て晋に臨まん、臣請ふ北のかた晋君に見え、共に之を攻めしめん、呉を弱むること必せり。其の鋭兵は斉に尽き、重甲は晋に困しみ、而して王其の敝を制せば、此れ呉を滅ぼすこと必せり」と。越王大いに説び、許諾す。子貢に金百鎰、剣一、良矛二を送る。子貢受けず、遂に行く。呉王に報じて曰く、「臣敬んで大王の言を以て越王に告ぐ、越王大いに恐れて、曰く、『孤不幸にして、少くして先人を失ひ、内に自ら量らず、罪を呉に抵し、軍敗れ身辱められ、会稽に棲み、国は虚莽と為る、大王の賜に頼りて、俎豆を奉じて祭祀を修むるを得しむ、死すとも敢へて忘れず、何の謀か之れ敢へて慮らん』と」と。後五日、越大夫種をして頓首して呉王に言はしめて曰く、「東海の役臣孤句践の使者臣種、敢へて下吏を修めて左右に問ふ。今竊かに聞く大王将に大義を興し、彊を誅し弱を救ひ、暴斉を困しめて周室を撫せんとすと、請ふ悉く境内の士卒三千人を起こさん、孤請ふ自ら堅を被り鋭を執りて、以て先づ矢石を受けん。因りて越の賤臣種先人の蔵器、甲二十領、鈇、屈盧の矛、歩光の剣を奉じて、以て軍吏を賀せしむ」と。呉王大いに説び、以て子貢に告げて曰く、「越王身ら寡人に従ひて斉を伐たんと欲す、可なるか」と。子貢曰く、「不可なり。夫れ人の国を空しくし、人の衆を悉くし、又其の君を従へるは、不義なり。君其の幣を受け、其の師を許して、其の君を辞せよ」と。呉王許諾し、乃ち越王に謝す。是に於いて呉王乃ち遂に九郡の兵を発して斉を伐つ。
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『長短経』懼戒〔子貢遂に南のかた呉王に説きて曰く「王者は世を絶たず、霸者は強敵無し。千鈞の重きも銖を加うれば移る。今、万乗の斉を以て千乗の魯を私し、呉と強を争う。其の患いを為すこと滋々甚だし。且つ夫れ魯を救うは名を顕わし、斉を伐つは大利なり。以て泗上の諸侯を撫し、暴斉を誅して以て晋を服せしむ。利是より大なるは莫し。亡魯を存するは名にして、実に強斉を困しむ。智者は疑わざるなり」と。呉王曰く「善し。然れども吾は実に越を困しむ。越王今、身を苦しめ士を養い、呉に報ゆるの心有り。子、吾が先ず越を伐つを待ちて、然る後に乃ち可なり」と。
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『智囊』辯才・子貢呉、諸侯を会に徴す。衛侯、後れて至る。呉人、衛侯の舎を藩す。子貢、太宰嚭に説いて曰く、「衛君の来たるは、必ず其の衆に謀る。其の衆、或いは欲し或いは否とす。是を以て緩く来たる。其の来たらんと欲する者は、子の党なり。其の来たらんと欲せざる者は、子の仇なり。若し衛侯を執えれば、是れ党を堕して仇を崇ぶなり」と。嚭、説びて、乃ち衛君を舎す。田常、斉に乱を作さんと欲し、高・国・鮑・晏を憚る。故に其の兵を移し、以て魯を伐たんと欲す。孔子、之を聞き、門弟子に謂いて曰く、「夫れ魯は、墳墓の処る所。二三子、何為れぞ出ずる莫き」と。子路、出でんことを請う。孔子、止む。子張・子石、行かんことを請う。孔子、許さず。子貢、請う。孔子、之を許す。遂に行きて斉に至り、田常に説いて曰く、「君の魯を伐つは、過てり。夫れ魯は、伐ち難き国なり。其の城は薄くして卑く、其の地は狭くして泄れ、其の君は愚にして不仁、大臣は偽りにして用無く、其の士民は又た甲兵の事を悪む。此れは与に戦うべからず。君は呉を伐つに如かず。夫れ呉は城高くして厚く、地広くして深く、甲堅くして新しく、士選ばれて飽き、重器精兵、尽く其の中に在り。又た明大夫をして之を守らしむ。此れ伐ち易きなり」と。田常、忿然として色を作して曰く、「子の難しとする所は、人の易しとする所。子の易しとする所は、人の難しとする所。而るに以て常に教うるは、何ぞや」と。子貢曰く、「臣聞く、『憂い内に在る者は強を攻め、憂い外に在る者は弱を攻む』と。
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孔子家語・在厄子路出で、子貢を召す。告ぐること子路の如し。子貢曰わく、「夫子の道至大なり、故に天下夫子を容るる能わず。夫子盍ぞ少しく貶せざる。」子曰わく、「賜よ。良農は稼うるに能くすれども、必ずしも穡むに能くせず。良工は巧みなるに能くすれども、順を為すに能くせず。君子は能く其の道を修め、綱して之を紀むれども、必ずしも其れ容れらるるに能くせず。今其の道を修めずして、其の容れらるるを求む。賜よ、爾が志広からず、思い遠からず。」子貢出で、顏回入る。問うこと亦た之の如し。顏回曰わく、「夫子の道至大なり、天下能く容るる莫し。然りと雖も、夫子推して之を行い、世我を用いざるは、国を有つ者の醜なり。夫子何ぞ病めんや。容れられずして、然る後君子を見わす。」孔子欣然として嘆じて曰わく、「是有るかな。顏氏の子よ、吾亦た爾をして多財ならしめば、吾爾が為に宰たらん。」