孔子家語 / 屈節解
孔子在衛,聞齊國田常將欲為亂,而憚鮑晏,因欲移其兵以伐魯。孔子會諸弟子而告之曰:「魯父母之國,不可不救,不忍視其受敵。今吾欲屈節於田常以救魯。二三子,誰為使?」於是子路曰:「請往齊。」孔子弗許。子張請,又弗許。子石請,又弗許。三子退謂子貢曰:「今夫子欲屈節以救父母之國,吾三人請使而不獲。此則吾子用辯之時也,吾子盍請行焉?」子貢請使,夫子許之。
新字:孔子在衛,聞斉国田常将欲為乱,而憚鮑晏,因欲移其兵以伐魯。孔子会諸弟子而告之曰:「魯父母之国,不可不救,不忍視其受敵。今吾欲屈節於田常以救魯。二三子,誰為使?」於是子路曰:「請往斉。」孔子弗許。子張請,又弗許。子石請,又弗許。三子退謂子貢曰:「今夫子欲屈節以救父母之国,吾三人請使而不獲。此則吾子用弁之時也,吾子盍請行焉?」子貢請使,夫子許之。
書き下し
孔子衛に在りて、齊國の田常將に亂を為さんと欲するも、鮑・晏を憚りて、因りて其の兵を移して以て魯を伐たんと欲すと聞く。孔子諸弟子を會して之に告げて曰く、「魯は父母の國なり、救わざるべからず、其の敵を受くるを視るに忍びず。今吾田常に節を屈して以て魯を救わんと欲す。二三子、誰か使いを為さん。」是に於て子路曰く、「請う齊に往かん。」孔子許さず。子張請う、又許さず。子石請う、又許さず。三子退きて子貢に謂いて曰く、「今夫子節を屈して以て父母の國を救わんと欲するに、吾三人使いを請いて獲ず。此れ則ち吾子辯を用うるの時なり。吾子盍ぞ行くを請わざる。」子貢使いを請う、夫子之を許す。
現代語訳
孔子が衛の国にいたとき、斉の田常が乱を起こそうとしているが、鮑氏・晏氏をはばかって、その矛先を魯に向けて攻めようとしているという知らせを聞いた。孔子は弟子たちを集めて告げた。「魯は父母の国である。救わずにはいられない。敵の攻撃を受けるのを黙って見過ごすことなどできない。今、私は田常に対して身を屈めてでも魯を救いたいと思う。お前たちの中で、誰か使者として行く者はいないか。」そこで子路が「私が斉へ参りましょう」と願い出たが、孔子は許さなかった。子張が願い出たが、これも許さなかった。子石が願い出たが、またも許さなかった。三人は退いて子貢に言った。「今、先生は身を屈めてでも父母の国を救おうとされているのに、私たち三人が使者を願い出ても許されなかった。これこそ、あなたの弁舌の力を用いるべき時ではないか。あなたはなぜ行くことを願い出ないのか。」子貢が使者となることを願い出ると、孔子はこれを許した。
解説
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