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孔子家語 / 問玉

子張問聖人之所以教。孔子曰:「師乎,吾語汝。聖人明於禮樂,舉而措之而已。」子張又問。孔子曰:「師,爾以為必布几筵,揖讓升降,酌獻酬酢,然後謂之禮乎?爾以必行綴兆,執羽鑰,作鐘鼓,然後謂之樂乎?言而可履,禮也;行而可樂,樂也。聖人力此二者,以躬己南面,是故天下太平。萬民順伏,百官承事,上下有禮也。夫禮之所以興,眾之所以治也;禮之所以廢,眾之所以亂也。目巧之室,則有隩阼,席則有上下,車則有左右,行則並隨,立則有列序;古之義也。室而無隩阼,則亂於堂室矣;席而無上下,則亂於席次矣;車而無左右,則亂於車上矣;行而無並隨,則亂於階塗矣;列而無次序,則亂於著矣。昔者明王聖人,辯貴賤長幼,正男女內外,序親疏遠近;而莫敢相踰越者,皆由此塗出也。」

新字:子張問聖人之所以教。孔子曰:「師乎,吾語汝。聖人明於礼楽,舉而措之而已。」子張又問。孔子曰:「師,爾以為必布几筵,揖譲升降,酌献酬酢,然後謂之礼乎?爾以必行綴兆,執羽鑰,作鐘鼓,然後謂之楽乎?言而可履,礼也;行而可楽,楽也。聖人力此二者,以躬己南面,是故天下太平。万民順伏,百官承事,上下有礼也。夫礼之所以興,眾之所以治也;礼之所以廃,眾之所以乱也。目巧之室,則有隩阼,席則有上下,車則有左右,行則並随,立則有列序;古之義也。室而無隩阼,則乱於堂室矣;席而無上下,則乱於席次矣;車而無左右,則乱於車上矣;行而無並随,則乱於階塗矣;列而無次序,則乱於著矣。昔者明王聖人,弁貴賤長幼,正男女內外,序親疏遠近;而莫敢相踰越者,皆由此塗出也。」

書き下し

子張聖人の教うる所以を問う。孔子曰く、「師よ、吾汝に語らん。聖人禮樂に明らかにして、舉げて之を措くのみ。」子張又問う。孔子曰く、「師よ、爾必ず几筵を布き、揖讓升降し、酌獻酬酢して、然る後之を禮と謂うと以えるか。爾必ず綴兆を行い、羽鑰を執り、鐘鼓を作して、然る後之を樂と謂うと以えるか。言いて履むべきは、禮なり。行いて樂しむべきは、樂なり。聖人此の二者を力めて、以て躬ら南面す。是の故に天下太平なり。萬民順伏し、百官事を承くるは、上下禮有ればなり。夫れ禮の興る所以は、眾の治まる所以なり。禮の廢する所以は、眾の亂るる所以なり。目巧の室にも、則ち隩阼有り、席にも則ち上下有り、車にも則ち左右有り、行くにも則ち並隨し、立つにも則ち列序有り。古の義なり。室にして隩阼無ければ、則ち堂室に亂る。席にして上下無ければ、則ち席次に亂る。車にして左右無ければ、則ち車上に亂る。行きて並隨無ければ、則ち階塗に亂る。列して次序無ければ、則ち著に亂る。昔者明王聖人、貴賤長幼を辯じ、男女內外を正し、親疏遠近を序して、敢えて相踰越する莫き者は、皆此の塗に由りて出づるなり。」

現代語訳

子張が、聖人がどのようにして人々を教え導くのかを尋ねた。孔子は言った。「師(子張)よ、私が話そう。聖人は礼と楽に明るく、それを取り上げて実行に移すだけのことだ。」子張はさらに尋ねた。孔子は言った。「師よ、お前は必ず机や敷物を並べ、会釈しながら昇り降りし、酒を酌み交わし献酬してこそ、それを『礼』と呼べると思っているのか。お前は必ず舞の隊列や位置に従い、羽根や楽器を手に取り、鐘や太鼓を鳴らしてこそ、それを『楽』と呼べると思っているのか。口にしたことが実行できるものであること、それが礼である。行って心から楽しめるものであること、それが楽である。聖人はこの二つに力を尽くし、自ら南面して(君主として)政を行う。だからこそ天下は太平になる。万民が従い服し、百官がそれぞれの職務を全うするのは、上下の間に礼があるからである。そもそも礼が興るということは、人々の秩序が治まるということであり、礼が廃れるということは、人々が乱れるということである。目分量で建てた粗末な部屋にも、奥と入り口の区別があり、敷物にも上座と下座があり、車にも左右の別があり、歩くにも並び従う順序があり、立つにも列の順序がある。これは古くからの決まりである。部屋に奥と入り口の区別がなければ、堂と室の間が乱れる。敷物に上下の別がなければ、席次が乱れる。車に左右の別がなければ、乗車の順序が乱れる。歩くのに並び従う順序がなければ、階段や通路で乱れが生じる。列に順序がなければ、並ぶ場所が乱れる。昔、明君や聖人は、身分の貴賤や年齢の長幼を弁別し、男女や内外の別を正し、親疎遠近の序列を整えた。誰もあえてこの秩序を踏み越えようとしなかったのは、みなこの道筋によって秩序が保たれていたからである。」

解説

子張の「聖人はどう教えるのか」という問いに対し、孔子はまず「礼楽に明るく、それを実行するだけだ」と簡潔に答えますが、子張が納得せず再度問うと、より踏み込んで説明します。礼とは形式的な作法そのものではなく「言って実行できること」、楽とは演奏そのものではなく「行って心から楽しめること」だと定義し直し、その本質は日常のあらゆる場面―部屋の配置、敷物の上下、車の左右、歩く順序、立つ位置―に貫かれる秩序にあると説きます。形式を整えることが目的ではなく、秩序という機能を果たすことこそが礼楽の本質であるという考え方が、この問答の核心です。

この章句が説くこと

子張聖人礼楽秩序本質

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