孔子家語 / 辯樂解
孔子學琴於師襄子。襄子曰:「吾雖以擊磬為官,然能於琴。今子於琴已習,可以益矣。」孔子曰:「丘未得其數也。」有間,曰:「已習其數,可以益矣。」孔子曰:「丘未得其志也。」有間,曰:「已習其志,可以益矣。」孔子曰:「丘未得其為人也。」有間,孔子有所謬然思焉。有所睪然,高望而遠眺。曰:「丘迨得其為人矣。近黮而黑,頎然長,曠如望羊,奄有四方。非文王其孰能為此?」師襄子避席,葉拱而對曰:「君子,聖人也。其傳曰『文王操』。」
新字:孔子学琴於師襄子。襄子曰:「吾雖以擊磬為官,然能於琴。今子於琴已習,可以益矣。」孔子曰:「丘未得其数也。」有間,曰:「已習其数,可以益矣。」孔子曰:「丘未得其志也。」有間,曰:「已習其志,可以益矣。」孔子曰:「丘未得其為人也。」有間,孔子有所謬然思焉。有所睪然,高望而遠眺。曰:「丘迨得其為人矣。近黮而黒,頎然長,曠如望羊,奄有四方。非文王其孰能為此?」師襄子避席,葉拱而対曰:「君子,聖人也。其伝曰『文王操』。」
書き下し
孔子琴を師襄子に學ぶ。襄子曰く、「吾磬を擊つを以て官と為すと雖も、然れども琴に能くす。今子琴に於て已に習えり、以て益すべし。」孔子曰く、「丘未だ其の數を得ざるなり。」間有りて、曰く、「已に其の數を習えり、以て益すべし。」孔子曰く、「丘未だ其の志を得ざるなり。」間有りて、曰く、「已に其の志を習えり、以て益すべし。」孔子曰く、「丘未だ其の為人を得ざるなり。」間有りて、孔子謬然として思う所有り。睪然として、高く望みて遠く眺むる所有り。曰く、「丘迨に其の為人を得たり。黮に近くして黑く、頎然として長く、曠として望羊のごとく、奄然として四方を有す。文王に非ざれば其れ孰か此れを為さんや。」師襄子席を避け、葉拱して對えて曰く、「君子、聖人なり。其の傳に曰う『文王操』と。」
現代語訳
孔子が師襄子から琴を学んでいた。師襄子が言った。「私は磬を打つことを職務としていますが、琴にも通じています。あなたはもう琴の技法を習得されましたから、次の段階に進んでよいでしょう。」孔子は言った。「私はまだその曲の拍子(構成)を体得していません。」しばらくして師襄子が言った。「もう拍子は習得されましたから、次に進んでよいでしょう。」孔子は言った。「私はまだその曲の志(込められた心)を体得していません。」しばらくして師襄子が言った。「もう志は習得されましたから、次に進んでよいでしょう。」孔子は言った。「私はまだその曲を作った人がどのような人物かを体得していません。」しばらくして、孔子は深く考え込む様子を見せた。やがて、遠くを見晴るかすように、高く見渡す様子を見せた。そして言った。「私はようやくその人物の姿をとらえました。色は浅黒く、姿はすらりと高く、まなざしは遠く広々として羊を見るようで、まるで四方を包み込むかのようです。文王でなければ、いったい誰がこの曲を作れましょうか。」師襄子は席を立ち、両手を組んで敬礼し、答えて言った。「あなたは君子であり、聖人です。この曲は伝えられて『文王操』と呼ばれています。」
解説
この章句が説くこと
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孔子家語・弟子行衛の將軍文子、子貢に問いて曰わく、「吾れ聞く、孔子の教えを施すや、之に先んずるに詩書を以てし、之を道びくに孝悌を以てす。之を說くに仁義を以てし、之を觀るに禮樂を以てす。然る後に之を成すに文德を以てすと。蓋し室に入り堂に升る者、七十餘人。其れ孰か賢と為す。」子貢對うるに「知らず」を以てす。文子曰わく、「吾子の常に賢者と與に學ぶを以てなり、『知らず』とは何の謂いぞ。」子貢對えて曰わく、「賢人は妄無く、賢を知るは即ち難し。故に君子の言に曰わく、『智は人を知るより難きは莫し。』と。是を以て對え難きなり。」文子曰わく、「夫れ賢を知るの難からざる莫きが若きも、今吾子親しく遊ぶ、是を以て敢えて問う。」子貢曰わく、「夫子の門人蓋し三千就ける有り。賜は逮及する有り、未だ逮及せざる有り、故に遍く知りて以て告ぐる能わざるなり。」文子曰わく、「吾子の逮及する所の者、請う其の行を問わん。」
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