列子 / 湯問篇
無幾何、復見師襄。師襄曰:「子之琴何如?」師文曰:「得之矣。請嘗試之。」於是當春而叩商弦以召南呂、涼風忽至、草木成實。及秋而叩角弦以激夾鍾、溫風徐迴、草木發榮。當夏而叩羽弦以召黃鐘、霜雪交下、川池暴沍。及冬而叩徵弦以激蕤賓、陽光熾烈、堅冰立散。將終、命宮而總四弦、則景風翔、慶雲浮、甘露降、澧泉涌。師襄乃撫心高蹈曰:「微矣、子之彈也!雖師曠之清角、鄒衍之吹律、亡以加之。彼將挾琴執管而從子之後耳。」
新字:無幾何、復見師襄。師襄曰:「子之琴何如?」師文曰:「得之矣。請嘗試之。」於是当春而叩商弦以召南呂、涼風忽至、草木成実。及秋而叩角弦以激夾鍾、温風徐迴、草木発栄。当夏而叩羽弦以召黄鐘、霜雪交下、川池暴沍。及冬而叩徴弦以激蕤賓、陽光熾烈、堅冰立散。将終、命宮而総四弦、則景風翔、慶雲浮、甘露降、澧泉涌。師襄乃撫心高蹈曰:「微矣、子之弾也!雖師曠之清角、鄒衍之吹律、亡以加之。彼将挟琴執管而従子之後耳。」
書き下し
幾何も無くして、復た師襄に見ゆ。師襄曰く、子の琴は何如、と。師文曰く、之を得たり。請う嘗みに之を試みん、と。是に於いて春に當たりて商弦を叩きて以て南呂を召けば、涼風忽ち至り、草木實を成す。秋に及びて角弦を叩きて以て夾鍾を激すれば、溫風徐ろに迴り、草木榮を發く。夏に當たりて羽弦を叩きて以て黄鐘を召けば、霜雪交々下り、川池暴かに沍る。冬に及びて徵弦を叩きて以て蕤賓を激すれば、陽光熾烈にして、堅冰立ちどころに散ず。將に終わらんとして、宮を命じて四弦を總ぶれば、則ち景風翔り、慶雲浮かび、甘露降り、澧泉涌く。師襄乃ち心を撫し高く蹈みて曰く、微なるかな、子の彈くや。師曠の清角、鄒衍の吹律と雖も、以て之に加うる亡し。彼將に琴を挾み管を執りて子の後に從わんとするのみ、と。
現代語訳
いくらもたたないうちに、師文はまた師襄に会った。師襄は言った。「あなたの琴はどうなったか」。師文は言った。「得ました。ためしにやってみましょう」。そこで春に商の弦を弾いて南呂の律を呼ぶと、涼しい風がたちまち至り、草木は実を結んだ。秋に角の弦を弾いて夾鍾の律を励ますと、暖かい風がゆるやかに巡り、草木は花を開いた。夏に羽の弦を弾いて黄鍾の律を呼ぶと、霜と雪が交互に降り、川や池はにわかに凍った。冬に徴の弦を弾いて蕤賓の律を励ますと、日の光が激しく照りつけ、厚い氷はたちまち溶けた。終わろうとして宮の音を出し四つの弦をまとめると、めでたい風が舞い、慶雲が浮かび、甘露が降り、清らかな泉が湧いた。師襄は胸を撫でて跳び上がり、言った。「微妙なものだ、あなたの演奏は。師曠の清角も、鄒衍の吹律も、これに加えるものはない。彼らのほうが琴を抱え笛を持って、あなたの後についてくるだろう」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『列子』湯問篇匏巴琴を鼓して鳥舞い魚躍る。鄭の師文之を聞き、家を棄て師襄に從いて游ぶ。柱に指し弦を鈞しくすること、三年章を成さず。師襄曰く、子は以て歸るべし、と。師文其の琴を舍きて歎じて曰く、文は弦を鈞しくする能わざるに非ず、章を成す能わざるに非ず。文の存する所は弦に在らず、志す所は聲に在らず。内は心に得ず、外は器に應ぜず。故に敢えて手を發して弦を動かさざるなり。且く小しく之を假せ、以て其の後を觀よ、と。
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荘子・徐無鬼荘子曰く、「然らば則ち、儒・墨・楊・秉(へい)の四、夫子と与に五と為る。果たして孰か是なるか。或いは魯遽(ろきょ)の若き者か。其の弟子曰く、『我は夫子の道を得たり。吾は能く冬に鼎を爨(かし)ぎて夏に冰を造る』と。魯遽曰く、『是れ直(た)だ陽を以て陽を召き、陰を以て陰を召くのみ。吾が所謂道に非ざるなり。吾子に吾が道を示さん』と。是に於いて之が為に瑟(しつ)を調え、一を堂に廃(お)き、一を室に廃く。宮を鼓すれば宮動き、角を鼓すれば角動く。音律同じければなり。夫れ或いは一弦を改調すれば、五音に当たる無し。之を鼓すれば二十五弦皆な動く。未だ始めより声に異ならず、而も音の君なるのみ。且つ是の若き者か」と。
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孔子家語・辯樂解孔子琴を師襄子に學ぶ。襄子曰く、「吾磬を擊つを以て官と為すと雖も、然れども琴に能くす。今子琴に於て已に習えり、以て益すべし。」孔子曰く、「丘未だ其の數を得ざるなり。」間有りて、曰く、「已に其の數を習えり、以て益すべし。」孔子曰く、「丘未だ其の志を得ざるなり。」間有りて、曰く、「已に其の志を習えり、以て益すべし。」孔子曰く、「丘未だ其の為人を得ざるなり。」間有りて、孔子謬然として思う所有り。睪然として、高く望みて遠く眺むる所有り。曰く、「丘迨に其の為人を得たり。黮に近くして黑く、頎然として長く、曠として望羊のごとく、奄然として四方を有す。文王に非ざれば其れ孰か此れを為さんや。」師襄子席を避け、葉拱して對えて曰く、「君子、聖人なり。其の傳に曰う『文王操』と。」
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呂氏春秋・音律②大聖の至理の世、天地の氣、合して風を生ず。日至れば則ち月ごとに其の風を鐘め、以て十二律を生ず。仲冬日短かきこと至れば、則ち黃鐘を生じ、季冬は大呂を生じ、孟春は太蔟を生じ、仲春は夾鐘を生じ、季春は姑洗を生じ、孟夏は仲呂を生じ、仲夏日長きこと至れば、則ち蕤賓を生じ、季夏は林鐘を生じ、孟秋は夷則を生じ、仲秋は南呂を生じ、季秋は無射を生じ、孟冬は應鐘を生ず。天地の風氣正しければ、則ち十二律定まる。
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説苑・修文孔子齊の郭門の外に至るに、一嬰兒の一壺を挈げて、相與に俱に行くに遇う、其の視精しく、其の心正しく、其の行端し。孔子御に謂いて曰く、「趣に之を驅れ、趣に之を驅れ。」と。韶樂方に作るに、孔子彼に至り、韶を聞きて三月肉味を知らず。故に樂は獨り以て自ら樂しむのみに非ず、又以て人を樂しましむ。獨り以て自ら正すのみに非ず、又以て人を正すなり!此に樂しむ者、樂を為すこと此に至るを圖らず。黃帝伶倫に詔して音律を作らしむ、伶倫大夏の西自り、乃ち崑崙の陰に之き、竹を嶰谷に取り、生竅厚薄均しき者を以て、兩節の間を斷ち、其の長さ九寸にして之を吹き、以て黃鐘の宮と為し、日に少次を含み、十二管を制し、崑崙の下を以て、鳳の鳴を聽き、以て十二律を別つ、其の雄鳴を六と為し、雌鳴も亦六なり、以て黃鐘の宮に比し、適に黃鐘の宮に合し、皆之を生ずべし、而して律の本なり。故に曰く黃鐘微にして均しく、鮮全にして傷つかず、其の宮為るや獨り尊く、大聖の德を象り、以て至賢の功を明らかにすべし、故に奉じて之を宗廟に薦め、以て功德を歌迎し、世世忘れず。是の故に黃鐘は林鐘を生じ、林鐘は大呂を生じ、大呂は夷則を生じ、夷則は太簇を生じ、太簇は南呂を生じ、南呂は夾鐘を生じ、夾鐘は無射を生じ、無射は姑洗を生じ、姑洗は應鐘を生じ、應鐘は蕤賓を生ず。三分の生ずる所、之に益すに一分を以てして上生す。三分の生ずる所、其の一分を去りて下生す。黃鐘・大呂・太簇・夾鐘・姑洗・仲呂・蕤賓を上と為し、林鐘・夷則・南呂・無射・應鐘を下と為す。大聖至治の世、天地の氣、合して以て風を生じ、日至れば則ち日其の風を行いて以て十二律を生ず、故に仲冬短至には則ち黃鐘を生じ、季冬には大呂を生じ、孟春には太簇を生じ、仲春には夾鐘を生じ、季春には姑洗を生じ、孟夏には仲呂を生じ、仲夏には蕤賓を生じ、季夏には林鐘を生じ、孟秋には夷則を生じ、仲秋には南呂を生じ、季秋には無射を生じ、孟冬には應鐘を生ず。天地の風氣正しければ、十二律至るなり。
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『列子』湯問篇伯牙善く琴を鼓し、鍾子期善く聽く。伯牙琴を鼓し、志高山に登るに在れば、鍾子期曰く、善いかな、峩峩乎として泰山の若し、と。志流水に在れば、鍾子期曰く、善いかな、洋洋乎として江河の若し、と。伯牙の念う所、鍾子期必ず之を得たり。伯牙泰山の陰に游び、卒かに暴雨に逢い、巖下に止まる。心悲しく、乃ち琴を援きて之を鼓す。初め霖雨の操を爲し、更めて崩山の音を造る。曲每に奏すれば、鍾子期輒ち其の趣を窮む。伯牙乃ち琴を舍きて嘆じて曰く、善いかな善いかな、子の聽くや。志の想い象ること猶お吾が心のごとし。吾何くにか聲を逃さんや、と。