孔子家語 / 郊問
定公問於孔子曰:「古之帝王必郊祀其祖以配天,何也?」孔子對曰:「萬物本於天,人本乎祖,郊之祭也,大報本反始也,故以配上帝。天垂象,聖人則之,郊所以明天道也。」公曰:「寡人郊而莫同,何也?」孔子曰:「郊之祭也,迎長日之至也。大報天而主日配以月。故周之始郊,其月以日至,其日用上辛。至於啟蟄之月,則又祈穀於上帝。此二者天子之禮也。魯無冬至,大郊之事降殺於天子,是以不同也。」
新字:定公問於孔子曰:「古之帝王必郊祀其祖以配天,何也?」孔子対曰:「万物本於天,人本乎祖,郊之祭也,大報本反始也,故以配上帝。天垂象,聖人則之,郊所以明天道也。」公曰:「寡人郊而莫同,何也?」孔子曰:「郊之祭也,迎長日之至也。大報天而主日配以月。故周之始郊,其月以日至,其日用上辛。至於啟蟄之月,則又祈穀於上帝。此二者天子之礼也。魯無冬至,大郊之事降殺於天子,是以不同也。」
書き下し
定公孔子に問いて曰わく:「古の帝王必ず其の祖を郊祀して以て天に配す、何ぞや。」孔子對えて曰わく:「萬物は天に本づき、人は祖に本づく。郊の祭りは、大いに本に報い始めに反るなり。故に以て上帝に配す。天象を垂れ、聖人之に則る。郊は天道を明らかにする所以なり。」公曰わく:「寡人郊するも同じからず、何ぞや。」孔子曰わく:「郊の祭りは、長日の至るを迎うるなり。大いに天に報いて日を主とし配するに月を以てす。故に周の始めて郊するや、其の月は日至を以てし、其の日は上辛を用う。啟蟄の月に至りては、則ち又穀を上帝に祈る。此の二者は天子の禮なり。魯は冬至無く、大郊の事は天子より降殺す、是を以て同じからざるなり。」
現代語訳
定公が孔子に尋ねた。「昔の帝王は必ず郊で始祖を祀って天に配祀しましたが、これはなぜですか。」孔子は答えた。「万物は天に根本を持ち、人は祖先に根本を持ちます。郊の祭りとは、大いに根本に報い、始まりに立ち返る儀礼です。だから始祖を上帝に配祀するのです。天が星や気候の象を示し、聖人はそれに則ります。郊祀は天の道を明らかにするためのものです。」定公は言った。「私が郊祀を行っても古の帝王のやり方と同じにならないのはなぜですか。」孔子は答えた。「郊の祭りは、冬至という最も日の短い日から日が長くなり始める時を迎える儀礼です。天に大いに報いる際には太陽を主とし、月を配します。だから周が初めて郊祀を行った時は、その月は冬至を含む月とし、その日は上辛の日(最初の辛の日)を用いました。啓蟄の月になると、さらに五穀豊穣を上帝に祈ります。この二つは天子の礼です。魯には諸侯国なので冬至の郊祀の資格がなく、大規模な郊祀の儀礼は天子より格を下げています。それでこのように異なるのです。」
解説
この章句が説くこと
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孔子家語・郊問公曰わく:「天子の郊、其の禮儀聞くを得べきか。」孔子對えて曰わく:「臣聞く、天子郊を卜するには、則ち命を祖廟に受け、龜を禰宮に作す、祖を尊び考に親しむの義なり。卜する日、王親ら澤宮に立ちて、以て誓命を聽く、教諫を受くるの義なり。既に卜すれば、命を庫門の內に獻ず、百官を誡むる所以なり。將に郊せんとすれば、則ち天子皮弁して以て報を聽く、民に上を嚴にするを示すなり。郊の日、喪者敢て哭せず、凶服の者敢て國門に入らず。路を汜掃して清め、行く者必ず止まる。命ぜずして民聽く、敬の至りなり。天子大裘に之を黼し、袞を被りて天に象り、素車に乘る、其の質を貴べばなり。旗十有二旒、龍章にして設くるに日月を以てす、天に法る所以なり。既に泰壇に至れば、王裘を脫ぐ。袞を服して以て臨み、柴を燔きて冕を戴く。璪十有二旒は、則ち天の數なり。臣之を聞く:詩三百を誦するも、以て一獻に足らず。一獻の禮も、以て大饗に足らず。大饗の禮も、以て大旅に足らず。大旅具わるも、以て帝を饗するに足らず。是を以て君子は敢て禮を輕議する者無きなり。」
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孔子家語・郊問公曰わく:「其れ郊と言うは、何ぞや。」孔子曰わく:「丘を南に兆すは、陽位に就く所以なり。郊に於てす、故に之を郊と謂う。」曰わく:「其の牲器は何如。」孔子曰わく:「上帝の牛は角璽栗にして、必ず滌に在ること三月。后稷の牛は唯だ具うるのみ、天神と人鬼とに事うるを別つ所以なり。牲は骍を用う、赤を尚べばなり。犢を用うるは、誠を貴べばなり。地を掃いて祭るは其の質なり。器は陶匏を用う、天地の性に象る以てなり。萬物之に稱う可き者無し、故に其の自然の體に因るなり。」
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孔子家語・廟制子羔曰く、「敢えて問う、尊卑上下廟を立つるの制、聞くを得べきか。」孔子曰く、「天下に王有り、地を分ちて國を建て祖宗を設くるは、乃ち親疏貴賤多少の數を為す。是の故に天子は七廟を立つ。三昭・三穆と、太祖の廟と七つなり。太祖の近廟は、皆月ごとに之を祭る。遠廟は祧と為し、二祧有り、享嘗にして乃ち止む。諸侯は五廟を立つ。二昭・二穆と、太祖の廟とにして五つ。祖考廟と曰い、享嘗にして乃ち止む。大夫は三廟を立つ。一昭・一穆と、太廟とにして三つ。皇考廟と曰う。享嘗にして乃ち止む。士は一廟を立つ。考廟と曰う。王考は廟無く、合わせて享嘗にして乃ち止む。庶人は廟無く、四時寢に祭る。此れ有虞より以て周に至るまでの變ぜざる所なり。凡そ四代帝王の謂う所の郊は、皆天に配するを以てす。其の謂う所の禘は、皆五年の大祭の及ぶ所なり。應に太祖と為すべき者は、則ち其の廟毀たれず。太祖に及ばざれば、禘郊に在りと雖も、其の廟は則ち毀たる。古は祖に功有りて宗に德有り、之を祖宗と謂う者は、其の廟皆毀たれず。」
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孔子家語・禮運先王蓍龜を秉り、祭祀を列ね、瘞し、繒し、宣し、祝嘏の辭說、制度を設く。故に國に禮有り、官に御有り、事に職有り、禮に序有り。先王禮の下に達せざるを患う、故に:帝を郊に饗するは、天位を定むる所以なり。社を國に祀るは、地利を列ぬる所以なり。祖廟を禘するは、仁を本づくる所以なり。山川を旅するは、鬼神を儐する所以なり。五祀を祭るは、事を本づくる所以なり。故に宗祝は廟に在り、三公は朝に在り、三老は學に在り、王は巫を前にして史を後にし、卜蓍瞽侑、皆左右に在り。王の中心違う無く、以て至正を守る。是を以て禮郊に行われて、百神職を受く。禮社に行われて、百貨極む可し。禮祖廟に行われて、孝慈服す。禮五祀に行われて、正しく法則す。故に郊、社、祖廟、山川、五祀は、義の脩まりて禮の藏なり。
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荀子・礼論篇郊は天子に止まり、社は諸侯に止まり、道は士大夫に及ぶは、尊き者は尊きに事え、卑しき者は卑しきに事え、大なるに宜しき者は巨いにし、小なるに宜しき者は小なるを別つ所以なり。
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孔子家語・論禮子貢退き、言遊進みて曰わく、「敢えて問う、礼や、悪を領めて好を全うする者か。」子曰わく、「然り。」子貢問う、「何ぞや。」子曰わく、「郊社の礼は、鬼神を仁する所以なり。禘嘗の礼は、昭穆を仁する所以なり。饋奠の礼は、死喪を仁する所以なり。射饗の礼は、郷党を仁する所以なり。食饗の礼は、賓客を仁する所以なり。郊社の義、禘嘗の礼に明らかなれば、国を治むることそれ諸を掌に指すがごときのみ。是の故に家に居るに礼有れば、故に長幼これを以て弁じ、閨門に礼有れば、故に三族これを以て和し、朝廷に礼有れば、故に官爵これを以て序し、田猟に礼有れば、故に戎事これを以て閑い、軍旅に礼有れば、故に武功成る。是を以て宮室その度を得、鼎俎その象を得、物その時を得、楽その節を得、車その軾を得、鬼神その享を得、喪紀その哀を得、弁説その党を得、百官その体を得、政事その施を得。身に加えて前に措く、凡そ衆の動くこと、その宜しきを得るなり。」