孔子家語 / 觀鄉射
孔子觀於鄉射,喟然嘆曰:「射之以禮樂也。何以射?何以聽?修身而發,而不失正鵠者,其唯賢者乎?若夫不肖之人,則將安能以求飲?詩云:『發彼有的,以祈爾爵。』祈,求也。求所中以辭爵。酒者,所以養老,所以養病也。求中以辭爵,辭其養也。是故士使之射而弗能,則辭以病,懸弧之義。」
新字:孔子観於鄉射,喟然嘆曰:「射之以礼楽也。何以射?何以聴?修身而発,而不失正鵠者,其唯賢者乎?若夫不肖之人,則将安能以求飲?詩云:『発彼有的,以祈爾爵。』祈,求也。求所中以辞爵。酒者,所以養老,所以養病也。求中以辞爵,辞其養也。是故士使之射而弗能,則辞以病,懸弧之義。」
書き下し
孔子鄉射を觀て、喟然として嘆じて曰わく:「射は禮樂を以てするなり。何を以て射んか、何を以て聽かんか。身を修めて發し、而も正鵠を失わざる者は、其れ唯だ賢者のみか。若し夫れ不肖の人は、則ち將た安んぞ以て飲を求むる能わんや。詩に云う:『彼の的有るに發ち、以て爾の爵を祈る』と。祈とは、求むるなり。中つる所を求めて以て爵を辭す。酒とは、老を養う所以、病を養う所以なり。中つるを求めて以て爵を辭するは、其の養を辭するなり。是の故に士をして之を射しめて能わざれば、則ち病を以て辭す、懸弧の義なり。」
現代語訳
孔子が郷での射礼を見て、感慨深く嘆いて言った。「弓を射るのは礼と楽によって行うものだ。どのように射るべきか、どのように的中の音を聴くべきか。身を修めて矢を放ち、正鵠(的の中心)を外さない者は、まさに賢者だけであろう。もし賢くない者であれば、どうして酒を求めることができようか。詩経に『あの的にめがけて矢を放ち、そなたに杯を勧めることを願う』とある。『祈』とは求めるということだ。的に当てることを求めてこそ、杯を辞退できる。酒は老人を養い、病人を養うためのものである。的中を求めて杯を辞退するのは、その『養い』を辞退することになる。だから士に射させて的中できなければ、病気を理由に辞退する。これが弓を掛けて男児の誕生を祝う『懸弧』の意味である。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・八佾篇射は皮を主とせず、力を同じ科に為(わ)けず。古の道なり。
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論語・八佾篇子曰く、君に事えて礼を尽くせば、人以て諂いと為すなり。
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孔子家語・觀鄉射是に於て退きて門人と矍相の圃に射を習う、蓋し觀る者堵墻の如し。射司馬に至りて、子路をして弓矢を執りて列を出でて延べしめ、射る者に謂いて曰わく:「軍を奔りし將、國を亡ぼせし大夫、人の後と爲れる者は、入るを得ず。其の餘は皆入れ。」蓋し去る者半ばなり。又公罔之裘と序點とをして、觶を揚げて語らしめて曰わく:「幼壯にして孝悌、耆老にして禮を好み、流俗に從わず、身を修めて死を俟つ者、此の位に在れ。」蓋し去る者半ばなり。序點觶を揚げて語りて曰わく:「學を好みて倦まず、禮を好みて變ぜず、耄期にして道を稱して亂れざる者、此の位に在れ。」蓋し僅かに存する者有り。射既に闋りて、子路進みて曰わく:「由と二三子との司馬たる、何如。」孔子曰わく:「能く命を用いたり。」
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孔子家語・觀鄉射孔子曰わく:「吾れ鄉に觀て、王道の易易たるを知る。主人親ら賓及び介を速え、而して衆賓之に從う。正門の外に至りて、主人賓及び介を拜し、而して衆自ら入る、貴賤の義別かる。三揖して階に至り、三讓して賓を以て升る。拜至獻酬辭讓の節繁く、介の升るに及びては則ち省かる。衆賓の升りて爵を受くるに至りては、坐して祭り立ちて飲み、酢せずして降殺の義辯かる。工入りて升歌すること三終、主人賓に獻ず。笙入りて三終、主人又之に獻ず。間歌すること三終、合樂すること三闋、工樂備わるを告げて遂に出づ。一人觶を揚げ、乃ち司正を立つ。其の能く和樂して流れざるを知る。賓主人に酬い、主人介に酬い、介衆賓に酬ゆ。賓の少長は齒を以てし、沃洗する者に終る、其の能く長を弟して遺す無きを知る。降りて屨を脫ぎ、升り坐して爵を修むること算無し。飲酒の節、旰くとも朝を廢せず、暮るるとも夕を廢せず。賓出づるに、主人迎送し、節文終に遂ぐ。其の能く安燕して亂れざるを知るなり。貴賤既に明らかに、降殺既に辯かに、和樂して流れず、長を弟して遺す無く、安燕して亂れず;此の五者、以て身を正し、國を安んずるに足る。彼の國安んじて、天下安んず。故に曰わく:『吾れ鄉に觀て、王道の易易たるを知る』と。」
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