孔子家語 / 論禮
子夏曰:「何謂三無私?」孔子曰:「天無私覆,地無私載,日月無私照。其在詩曰:『帝命不違,至於湯齊。湯降不遲,聖敬日躋。昭假遲遲,上帝是只。』帝命式於九圍,是湯之德也。」子夏蹶然而起,負墻而立,曰:「弟子敢不志之。」
新字:子夏曰:「何謂三無私?」孔子曰:「天無私覆,地無私載,日月無私照。其在詩曰:『帝命不違,至於湯斉。湯降不遅,聖敬日躋。昭仮遅遅,上帝是只。』帝命式於九囲,是湯之徳也。」子夏蹶然而起,負墻而立,曰:「弟子敢不志之。」
書き下し
子夏曰わく、「何をか三無私と謂う。」孔子曰わく、「天は私に覆う無く、地は私に載する無く、日月は私に照らす無し。その詩に在りて曰わく、『帝命違わず、湯に至りて斉し。湯降ること遅からず、聖敬日々躋る。昭かに仮ること遅遅たり、上帝これ祗む。』帝命九囲に式るは、是れ湯の徳なり。」子夏蹶然として起ち、墻を負いて立ちて曰わく、「弟子敢えて之を志さざらんや。」
現代語訳
子夏が尋ねた。「三無私とは何を言うのですか。」孔子は言った。「天は私心なく万物を覆い、地は私心なく万物を載せ、日月は私心なくあまねく照らします。それは『詩経』にもこう詠まれています。『天帝の命は違うことなく、湯王に至って(その徳が天と)等しくなった。湯王が謙って降るのに遅れることなく、その聖なる敬いは日々高まっていった。神の明らかな来臨は絶え間なく続き、上帝はこれを深く敬われた。』天帝の命が天下九州の隅々にまで行き渡ったのは、これこそ湯王の徳によるものです。」子夏はにわかに立ち上がり、壁を背にして立ち、言った。「弟子である私は、あえてこの教えを心に刻まないことがありましょうか。」
解説

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礼記・孔子閒居子夏曰く、「三王の徳は、天地に参(まじ)わる。敢えて問う、何如なればここに天地に参わると謂うべき」と。 孔子曰く、「三無私を奉じて以て天下を労う」と。 子夏曰く、「敢えて問う、何をか三無私と謂う」と。 孔子曰く、「天は私に覆うこと無く、地は私に載すること無く、日月は私に照らすこと無し。斯の三者を奉じて以て天下を労う、此れをこれ三無私と謂う。其の《詩》に在りては、曰く『帝命違わず、湯に至りて斉(ひと)し。湯の降ること遅からず、聖敬日に斉(のぼ)る。昭仮(しょうか)遅遅として、上帝是れ祇(つつし)む。帝命じて九囲に式(のり)とせしむ』と。是れ湯の徳なり。天に四時有り、春秋冬夏、風雨霜露、教えに非ざるは無し。地は神気を載せ、神気は風霆(ふうてい)、風霆形を流し、庶物露(あら)われ生ず、教えに非ざるは無し。清明躬(み)に在れば、気志神の如し、嗜欲将に至らんとすれば、開くこと有りて必ず先んず。天時雨を降らし、山川雲を出だす。其の詩に在りては曰く、『嵩高なるは維れ嶽、峻(たか)くして天に極(いた)る。惟れ嶽神を降し、甫と申とを生む。惟れ申と甫と、惟れ周の翰(かん)なり。四国に於て蕃(まがき)となり、四方に於て宣(の)ぶ』と。此れ文武の徳なり。三代の王たるや、必ず其の令聞を先にす。《詩》に云う、『明明たる天子、令聞已まず』と。三代の徳なり。『其の文徳を弛(ほどこ)し、此の四国を協(あわ)す』と。大王の徳なり」と。 子夏蹶然(けつぜん)として起ち、牆(かき)を負いて立ちて、曰く、「弟子敢えて承けざらんや」と。
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孔子家語・論禮子夏曰わく、「言えば則ち美なり、大なり。言うことこれに尽きて已むか。」孔子曰わく、「何ぞそれ然ると謂わんや。吾汝に語らん、その義猶お五起有り。」子貢曰わく、「何如。」孔子曰わく、「声無きの楽は、気志違わず。体無きの礼は、威儀遅遅たり。服無きの喪は、内恕して孔だ悲しむ。声無きの楽は、願う所必ず従う。体無きの礼は、上下和同す。服無きの喪は、施して万邦に及ぶ。既に然りて又たこれを奉ずるに三無私を以てし、而して天下を労す。此れを五起と謂う。」
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孔子家語・論禮子貢曰わく、「敢えて問う、何をか三無と謂う。」孔子曰わく、「声無きの楽、体無きの礼、服無きの喪、此れを三無と謂う。」子夏曰わく、「敢えて問う、三無は何れの詩か之に近き。」孔子曰わく、「夙夜命を基め宥密なる、声無きの楽なり。威儀逮逮として、選ぶべからず、体無きの礼なり。凡そ民喪有れば、扶伏してこれを救う、服無きの喪なり。」
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孔子家語・五帝德孔子曰わく、「予よ!大なる者は天の如く、小なる者は言の如く、民悦び至れり。予や、其の人に非ざるなり。」宰我曰わく、「予や以て戒むるに足らず、敬んで承けん。」
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礼記・孔子閒居子夏曰く、「五至は既に得てこれを聞けり。敢えて問う、何をか三無と謂う」と。 孔子曰く、「声無きの楽、体無きの礼、服無きの喪。此れをこれ三無と謂う」と。 子夏曰く、「三無は既に得て略(ほぼ)これを聞けり。敢えて問う、何の詩かこれに近き」と。 孔子曰く、「『夙夜(しゅくや)其れ命ずること宥密(ゆうみつ)なり』は、声無きの楽なり。『威儀逮逮(たいたい)として、選ぶべからざるなり』は、体無きの礼なり。『凡そ民に喪有れば、匍匐(ほふく)してこれを救う』は、服無きの喪なり」と。
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呂氏春秋・去私①天に私覆無く、地に私載無く、日月に私燭無く、四時に私行無し。其の徳を行いて萬物遂長することを得。