孔子家語 / 五帝德
宰我曰:「請問帝舜。」孔子曰:「喬牛之孫,瞽瞍之子也,曰有虞。舜孝友聞於四方,陶漁事親。寬裕而溫良,敦敏而知時。畏天而愛民,恤遠而親近。承受大命,依於二女,叡明智通,為天下帝。命二十二臣率堯舊職,躬己而已。天平地成,巡狩四海,五載一始。三十年在位,嗣帝五十載。陟方嶽,死於蒼梧之野而葬焉。」
新字:宰我曰:「請問帝舜。」孔子曰:「喬牛之孫,瞽瞍之子也,曰有虞。舜孝友聞於四方,陶漁事親。寛裕而温良,敦敏而知時。畏天而愛民,恤遠而親近。承受大命,依於二女,叡明智通,為天下帝。命二十二臣率堯旧職,躬己而已。天平地成,巡狩四海,五載一始。三十年在位,嗣帝五十載。陟方嶽,死於蒼梧之野而葬焉。」
書き下し
宰我曰わく、「請う帝舜を問う。」孔子曰わく、「喬牛の孫、瞽瞍の子にして、有虞と曰う。舜孝友四方に聞こえ、陶漁して親に事う。寛裕にして温良、敦敏にして時を知る。天を畏れて民を愛し、遠きを恤みて近きに親しむ。大命を承受し、二女に依り、叡明智通、天下の帝と為る。二十二臣に命じて堯の旧職を率いしめ、己を躬めるのみ。天平らかに地成り、四海を巡狩し、五載にして一たび始む。三十年にして位に在り、帝を嗣ぐこと五十載。方嶽に陟り、蒼梧の野に死して之を葬る。」
現代語訳
宰我は言った。「では、帝舜についてお尋ねいたします。」先生は言った。「喬牛の孫であり、瞽瞍の子であって、有虞という。舜は親孝行と兄弟仲の良さで四方に評判が高く、陶器を焼き漁をしながら親に仕えた。度量が広くて温和であり、篤実で機敏でありながら時宜をわきまえていた。天を畏れ民を愛し、遠方の者をいたわり近くの者に親しんだ。堯より天命を授かり、堯の二人の娘を妻とし、叡知にして明敏、智恵は広く通じ、天下の帝となった。二十二人の臣下に命じて堯の代からの旧来の職務を継続させ、自らはひたすら身を慎むのみであった。天は平らかに治まり地は成り、四海を巡り視察し、五年に一度、その巡視を新たに始めた。三十年間、帝位に即く前の期間を過ごし、帝位を継いでからは五十年間その位にあった。四方の山岳を巡って登り、蒼梧の野で亡くなり、そこに葬られた。」
解説

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孔子家語・五帝德宰我曰わく、「請う帝堯を問う。」孔子曰わく、「高辛氏の子にして、陶唐と曰う。其の仁は天の如く、其の智は神の如し。之に就けば日の如く、之を望めば雲の如し。富みて驕らず、貴くして能く降る。伯夷礼を典どり、夔龍楽を典どる。舜時にして仕え、四時を趨視し、元民の之を始むるに務む。四凶を流して天下服し、其の言忒わず、其の徳回らず。四海の内、舟輿の及ぶ所、夷説せざる莫し。」
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史記 五帝本紀堯子丹朱の不肖にして、天下を授くるに足らざるを知る。是に於て乃ち権りて舜に授く。舜に授くれば、則ち天下其の利を得て丹朱病む。丹朱に授くれば、則ち天下病みて丹朱其の利を得。堯曰く、「終に天下の病を以て一人を利せず」と。而して卒に舜に授くるに天下を以てす。堯崩じ、三年の喪畢はり、舜丹朱に譲りて南河の南に辟く。諸侯の朝覲する者は丹朱に之かずして舜に之き、獄訟する者は丹朱に之かずして舜に之き、謳歌する者は丹朱を謳歌せずして舜を謳歌す。舜曰く、「天なるかな」と。而る後に中国に之きて天子の位を践む。是を帝舜と為す。虞舜は、名を重華と曰ふ。重華の父を瞽叟と曰ひ、瞽叟の父を橋牛と曰ひ、橋牛の父を句望と曰ひ、句望の父を敬康と曰ひ、敬康の父を窮蟬と曰ひ、窮蟬の父を帝顓頊と曰ひ、顓頊の父を昌意と曰ふ。以て舜に至るまで七世なり。窮蟬より以て帝舜に至るまで、皆微にして庶人為り。舜の父瞽叟は盲にして、舜の母死し、瞽叟更に妻を娶りて象を生む。象は傲なり。瞽叟後妻の子を愛し、常に舜を殺さんと欲す。舜避け逃る。小過有るに及べば、則ち罪を受く。父及び後母と弟とに順事し、日に以て篤謹にして、懈ること有る匪し。舜は、冀州の人なり。舜歴山に耕し、雷沢に漁し、河浜に陶し、什器を寿丘に作り、時に負夏に就く。舜の父瞽叟は頑、母は嚚、弟象は傲にして、皆舜を殺さんと欲す。舜順適して子の道を失はず、兄弟に孝慈なり。殺さんと欲するも、得可からず。即ち求むれば、嘗に側に在り。舜年二十にして孝を以て聞こゆ。三十にして帝堯用ゐる可き者を問ふに、四嶽咸虞舜を薦めて、可なりと曰ふ。
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孔子家語・五帝德宰我曰わく、「請う禹を問う。」孔子曰わく、「高陽の孫、鯀の子にして、夏后と曰う。敏給克斉にして、其の徳爽わず。其の仁は親しむ可く、其の言は信ず可し。声は律と為り、身は度と為る。亹亹穆穆として、紀と為り綱と為る。其の功は百神の主為り、其の恵は民の父母為り。左に準縄し、右に規矩す。四時を履み、四海に拠る。臯繇・伯益に任せて、以て其の治を賛く。六師を興して、以て序わざるを征す。四極の民、敢えて服せざる莫し。」
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史記 五帝本紀此の二十二人咸厥の功を成す。皋陶大理と為りて、平らかにして、民各其の実を得るに伏す。伯夷礼を主りて、上下咸譲る。垂工師を主りて、百工功を致す。益虞を主りて、山沢辟く。棄稷を主りて、百穀時に茂る。契司徒を主りて、百姓親和す。龍賓客を主りて、遠人至る。十二牧行ひて九州敢へて辟違する莫し。唯だ禹の功を大なりと為す。九山を披き、九沢を通じ、九河を決し、九州を定め、各其の職を以て来貢し、厥の宜しきを失はず。方五千里、荒服に至る。南は交阯・北発を撫し、西は戎・析枝・渠廋・氐・羌、北は山戎・発・息慎、東は長・鳥夷、四海の内咸帝舜の功を戴く。是に於て禹乃ち九招の楽を興し、異物を致し、鳳皇来翔す。天下の明徳は皆虞帝より始まる。舜年二十にして孝を以て聞こえ、年三十にして堯之を挙げ、年五十にして天子の事を摂行し、年五十八にして堯崩じ、年六十一にして堯に代はりて帝位を践む。帝位を践むこと三十九年、南に巡狩し、蒼梧の野に崩ず。江南の九疑に葬る、是を零陵と為す。舜の帝位を践むや、天子の旗を載せ、往きて父瞽叟に朝し、夔夔として唯れ謹み、子の道の如くす。弟象を封じて諸侯と為す。舜の子商均も亦不肖なり。舜乃ち豫め禹を天に薦む。十七年にして崩ず。三年の喪畢はり、禹も亦乃ち舜の子に譲ること、舜の堯の子に譲るが如し。諸侯之に帰し、然る後に禹天子の位を践む。堯の子丹朱、舜の子商均、皆疆土有りて、以て先祀を奉ず。其の服を服し、礼楽之の如くす。客を以て天子に見え、天子臣とせず、敢へて専らにせざるを示すなり。黄帝より舜・禹に至るまで、皆姓を同じくして其の国号を異にし、以て明徳を章らかにす。故に黄帝を有熊と為し、帝顓頊を高陽と為し、帝嚳を高辛と為し、帝堯を陶唐と為し、帝舜を有虞と為す。帝禹は夏后と為りて氏を別にし、姓は姒氏なり。
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孔子家語・五帝德宰我曰わく、「請う帝嚳を問う。」孔子曰わく、「玄枵の孫、喬極の子にして、高辛と曰う。生まれながらにして神異、自ら其の名を言う。博く施し厚く利すれども、其の身に於てせず。聡にして以て遠きを知り、明にして以て微を察す。仁にして以て威あり、恵にして信あり。以て天地の義に順う。民の急とする所を知り、身を修めて天下服し、地の財を取りて用いを節す。万民を撫教して之を誨利し、日月の生朔を歴て之を迎送し、鬼神を明らかにして之を敬事す。其の色や和、其の徳や重、其の動や時、其の服や哀なり。春夏秋冬天下を育護し、日月の照らす所、風雨の至る所、化に従わざる莫し。」
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尚書・舜典曰若(ここ)に古(いにしへ)を稽(かんが)ふるに、帝舜を重華と曰ふ。帝に協(かな)ふ。濬哲(しゆんてつ)文明、温恭允塞(いんそく)にして、玄徳升(のぼ)り聞こえ、乃ち命ずるに位を以てす。慎みて五典を徽(よ)くし、五典克く従ふ。百揆に納(い)れ、百揆時(こ)れ敘(つい)づ。四門に賓(ひん)し、四門穆穆(ぼくぼく)たり。大麓(たいろく)に納れ、烈風雷雨にも迷はず。帝曰く、「格(きた)れ、汝舜。事を詢(と)ひ言を考ふるに、乃(なんぢ)の言の績を可(な)すを厎(いた)すこと三載なり。汝帝位に陟(のぼ)れ」と。舜徳あるものに譲りて、嗣がず。正月上日、終を文祖に受く。璿璣玉衡(せんきぎよくかう)を在(み)て、以て七政を斉(ととの)ふ。肆(つひ)に上帝に類し、六宗に禋(いん)し、山川に望し、群神に徧(あまね)くす。五瑞を輯(あつ)む。既に月乃ち日、四岳群牧に覲(まみ)え、瑞を群后に班(わか)つ。歳の二月、東のかた巡守し、岱宗(たいそう)に至りて柴(さい)す。山川に望秩し、肆に東后に覲ゆ。時月を協(あは)せ日を正し、律度量衡を同じくす。五礼・五玉・三帛・二生・一死を修め、贄(し)とす。五器の如くし、卒(を)はれば乃ち復す。五月南のかた巡守し、南岳に至る、岱の礼の如し。八月西のかた巡守し、西岳に至る、初めの如し。十有一月朔のかた巡守し、北岳に至る、西の礼の如し。帰りて藝祖に格(いた)り、特を用ふ。五載に一たび巡守し、群后四たび朝す。