孔子家語 / 子路初見
孔篾問行己之道。子曰:「知而弗為,莫如勿知;親而弗信,莫如勿親。樂之方至,樂而勿驕;患之將至,思而勿憂。」孔篾曰:「行己乎?」子曰:「攻其所不能,補其所不備。毋以其所不能,疑人;毋以其所能,驕人。終日言,無遺己之憂;終日行,不遺己患。唯智者有之。」
新字:孔篾問行己之道。子曰:「知而弗為,莫如勿知;親而弗信,莫如勿親。楽之方至,楽而勿驕;患之将至,思而勿憂。」孔篾曰:「行己乎?」子曰:「攻其所不能,補其所不備。毋以其所不能,疑人;毋以其所能,驕人。終日言,無遺己之憂;終日行,不遺己患。唯智者有之。」
書き下し
孔篾己を行うの道を問う。子曰わく、「知りて為さざるは、知らざるに如くは莫し。親しみて信ぜざるは、親しまざるに如くは莫し。楽しみの方に至るや、楽しみて驕る勿れ。患いの将に至らんとするや、思いて憂うる勿れ。」孔篾曰わく、「己を行うか。」子曰わく、「其の能くせざる所を攻め、其の備わらざる所を補う。其の能くせざる所を以て、人を疑う毋かれ。其の能くする所を以て、人に驕る毋かれ。終日言いて、己の憂いを遺す無く、終日行いて、己の患いを遺さず。唯だ智者のみ之有り。」
現代語訳
孔篾が自分の身の処し方について尋ねた。先生は言った。「わかっていながら行わないのは、わかっていないのと同じで劣る。親しくしていながら信頼できないのは、親しくしていないのと同じで劣る。楽しいことがやって来たら、楽しみながらも驕ってはならない。心配事が起ころうとしているときは、よく考えても思い悩みすぎてはならない。」孔篾は言った。「では、それが身の処し方でしょうか。」先生は言った。「自分にできないところを攻略し、自分に備わっていないところを補う。自分にできないことを理由に、人を疑ってはならない。自分にできることを理由に、人に驕ってはならない。一日中話しても自分に憂いを残すことなく、一日中行動しても自分に患いを残さない。ただ智者だけがこれを実践できるのだ。」
解説

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孔子家語・子路初見孔子の兄の子に孔篾なる者有り、宓子賤と偕に仕う。孔子往きて孔篾に過ぎり、之に問いて曰わく、「汝の仕えてより、何をか得たる、何をか亡えたる。」対えて曰わく、「未だ得る所有らず、而して亡う所の者三つあり。王事竜の若く、学焉んぞ習うことを得ん、是れ学明らかなるを得ざるなり。俸禄少なく、饘粥親戚に及ばず、是を以て骨肉益々疏し。公事急なること多く、死を吊し疾を問うを得ず、是れ朋友の道闕くるなり。其の亡う所の者三つとは、即ち此を謂うなり。」孔子悦ばず、往きて子賤に過ぎり、孔篾に問いしが如く問う。対えて曰わく、「来たりて仕えてより亡う所無し、其の得る所の者三つあり。始め之を誦し、今得て之を行う、是れ学益々明らかなるなり。俸禄供する所、親戚に被び及ぶ、是れ骨肉益々親しむなり。公事有りと雖も、兼ぬるに死を吊し疾を問うを以てす、是れ朋友篤きなり。」孔子喟然として、子賤に謂いて曰わく、「君子なるかな、此くの若き人。魯に君子無くんば、則ち子賤焉んぞ此を取らん。」
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『五常訓』巻之五・智一子曰く、人の己を知らざるを患へず、人を知らざるを患ふ。君子の道は外に求めず、唯わが身に求む。故に人の我が善を知らざるは、人の不明なり。我が患にあらず。わが善を行ふは、もと我がなすべき所なり。人に知らせん為にあらず。たとへば飯をくらつて、我が腹にみちて、飢を助くれば、人の知らんことを求めざるが如し。人を知らざれば、人の善悪邪正をわきまへず。是わが不明なり。故に患ふべし。もし人を知らざれば、其人にあらざるを友として、身をうしなひ、邪人を用ひて、家をやぶり、人をそこなふ。或は善人をすてて用ひず。凡小人は、わが身を人の知らざるを患ひて、我が人を知らざるを患へず。すべてさかさまに工夫をなせり。
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