孔子家語 / 子路初見
淡臺子羽有君子之容,而行不勝其貌。宰我有文雅之辭,而智不充其辯。孔子曰:「里語云:『相馬以輿,相士以居,弗可廢矣。』以容取人,則失之子羽;以辭取人,則失之宰予。」
新字:淡台子羽有君子之容,而行不勝其貌。宰我有文雅之辞,而智不充其弁。孔子曰:「里語云:『相馬以輿,相士以居,弗可廃矣。』以容取人,則失之子羽;以辞取人,則失之宰予。」
書き下し
淡臺子羽君子の容有れど、行い其の貌に勝えず。宰我文雅の辞有れど、智其の辯に充たず。孔子曰わく、「里語に云う、『馬を相るに輿を以てし、士を相るに居を以てす』と、廃す可からざるなり。容を以て人を取らば、則ち之を子羽に失す。辞を以て人を取らば、則ち之を宰予に失す。」
現代語訳
淡台子羽は君子らしい立派な容姿を備えていたが、その行いは容姿ほどには優れていなかった。宰我は教養ある巧みな言葉を持っていたが、その知恵は弁舌ほどには伴っていなかった。孔子は言った。「俚諺にこうある。『馬の良し悪しは車の引き方で見極め、士の良し悪しはその日頃の身の処し方で見極める』と。これは決しておろそかにできない教えだ。容姿だけで人を判断すれば、子羽のような例で見誤ることになる。言葉だけで人を判断すれば、宰予のような例で見誤ることになる。」
解説
見た目が立派な子羽と、弁舌が巧みな宰我という二人の弟子を例に、孔子が人物評価の危うさを説いた言葉です。容姿の立派さや言葉の巧みさは、その人の実際の行いや知恵を保証するものではないという事実を、孔子は身近な弟子の実例をもって率直に認めています。俚諺を引きながら、本当にその人物を見極めるには、外見や話術ではなく、日頃の身の処し方(行い)を見るべきだと説く点が印象的です。第一印象や話の巧拙に惑わされず、実際の行動を通してその人を判断すべきだという教えは、人物評価や採用の場面など、現代のあらゆる人間関係においても普遍的に通じる戒めです。
この章句が説くこと
淡台子羽宰我人物評価以貌取人以辞取人
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