史記 / 仲尼弟子列伝
澹臺滅明、武城人、字子羽。少孔子三十九歲。狀貌甚惡、欲事孔子、孔子以為材薄。既已受業、退而修行、行不由徑、非公事不見卿大夫。南游至江、從弟子三百人、設取予去就、名施乎諸侯。孔子聞之、曰、吾以言取人、失之宰予。以貌取人、失之子羽。
新字:澹台滅明、武城人、字子羽。少孔子三十九歳。状貌甚悪、欲事孔子、孔子以為材薄。既已受業、退而修行、行不由径、非公事不見卿大夫。南游至江、従弟子三百人、設取予去就、名施乎諸侯。孔子聞之、曰、吾以言取人、失之宰予。以貌取人、失之子羽。
書き下し
澹臺滅明、武城の人、字は子羽。孔子より少きこと三十九歳。状貌甚だ悪く、孔子に事へんと欲するも、孔子以て材薄しと為す。既に業を受け、退きて行を修め、行くに径に由らず、公事に非ざれば卿大夫に見えず。南のかた游びて江に至り、従ふ弟子三百人、取予去就を設け、名諸侯に施く。孔子之を聞きて曰く、「吾言を以て人を取り、之を宰予に失す。貌を以て人を取り、之を子羽に失す」と。
現代語訳
澹臺滅明は武城の人で、字は子羽。孔子より三十九歳若い。容貌がたいそう醜く、孔子に師事しようとしたが、孔子は才が乏しいと見た。学業を終えると、退いて身を修め、道を歩くときは近道をせず、公務でなければ卿や大夫に会わなかった。南方へ遊学して長江に至り、従う弟子は三百人におよび、受け取ることと与えること、身の進退についての筋目を定め、その名は諸侯の間に知れ渡った。孔子はこれを聞いて言った。「私は言葉で人を評価して、宰予を見誤った。容貌で人を評価して、子羽を見誤った」。
解説
「見た目や第一印象で人を判断する過ち」を、孔子自身の反省として率直に告白した、極めて有名な一段です。子羽は容貌が醜かったため、孔子は当初「大した才能はあるまい」と見くびりました。しかし子羽は、公明正大に身を修め、脇道を通らず(不正をせず)、私用では有力者に会わないという高潔な生き方を貫き、やがて三百人の門人を率いる立派な指導者となって諸侯に名を知られます。孔子はこれを聞いて『言葉で人を取って宰予(弁は立つが不誠実だった)を見誤り、容貌で人を取って子羽を見誤った』と、自らの二つの失敗を正直に認めました。あの孔子でさえ、雄弁さや外見といった表面的な印象に惑わされたのです。採用・登用・評価において、私たちは無意識に第一印象(話のうまさ、見た目、学歴、肩書)で人を判断しがちです。しかしそれらは、その人の本当の実力・誠実さとは必ずしも一致しません。表面で判断する危うさを、聖人の自己反省という形で示すこの一段は、人を見る者すべてへの永遠の戒めです。そして、自分の誤りを率直に認める孔子の姿勢そのものが、優れたリーダーの条件でもあります。
この章句が説くこと
子羽以貌取人第一印象の罠宰予人を見る目孔子の自己反省
関連する章句
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孔子家語・七十二弟子解淡臺滅明は、武城の人、字は子羽、孔子より少きこと四十九歲、君子の姿有り。孔子嘗て容貌を以て其の才を望むも、其の才孔子の望みに充たず。然れども其の人と為り、公正無私にして、取與去就を以て、諾を以て名と為す。魯に仕えて大夫と為る。
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孔子家語・子路初見淡臺子羽君子の容有れど、行い其の貌に勝えず。宰我文雅の辞有れど、智其の辯に充たず。孔子曰わく、「里語に云う、『馬を相るに輿を以てし、士を相るに居を以てす』と、廃す可からざるなり。容を以て人を取らば、則ち之を子羽に失す。辞を以て人を取らば、則ち之を宰予に失す。」
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孔子家語・五帝德他日、宰我以て子貢に語り、子貢以て孔子に復す。子曰わく、「吾顏状を以て人を取らんと欲せば、則ち滅明に於て改めたり。吾言辞を以て人を取らんと欲せば、則ち宰我に於て之を改めたり。吾容貌を以て人を取らんと欲せば、則ち子張に於て之を改めたり。」宰我之を聞きて、懼る。敢えて見えず。
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『韓非子』顯學第五十故に孔子曰く、「容を以て人を取らんか、之を子羽に失す、言を以て人を取らんか、之を宰予に失す。」・・・故に明主の吏・宰相は必ず州部より起こり、猛將は必ず卒伍より發る。
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史記 仲尼弟子列伝宰予、字は子我。利口弁辞なり。既に業を受け、問ふ、「三年の喪は已に久しからずや。君子三年礼を為さざれば、礼必ず壊れん。三年楽を為さざれば、楽必ず崩れん。旧穀既に没し、新穀既に升り、鉆燧火を改む、期にして已む可し」と。子曰く、「汝に於いて安きか」と。曰く、「安し」と。「汝安ければ則ち之を為せ。君子の喪に居るや、旨きを食らひて甘しとせず、楽を聞きて楽しまず、故に為さざるなり」と。宰我出づ。子曰く、「予の不仁なるや。子生まれて三年、然る後に父母の懐を免る。夫れ三年の喪は、天下の通義なり」と。宰予昼寝ぬ。子曰く、「朽木は雕る可からず、糞土の墻は圬る可からず」と。宰我五帝の徳を問ふ。子曰く、「予は其の人に非ざるなり」と。宰我、臨菑の大夫と為り、田常と乱を作し、以て其の族を夷げらる。孔子之を恥づ。
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史記 仲尼弟子列伝公冶長、斉人、字は子長。孔子曰く、「長は妻はす可きなり、累紲の中に在りと雖も、其の罪に非ざるなり」と。其の子を以て之に妻はす。南宮括、字は子容。孔子に問ひて曰く、「羿は射を善くし、奡は舟を盪かすも、俱に其の死を得ず、禹・稷は躬ら稼して天下を有つ」と。孔子答へず。容出づ。孔子曰く、「君子なるかな若き人、上徳なるかな若き人」と。「国道有れば廃せられず、国道無くして刑戮を免る」と。三たび白珪の玷を復す。其の兄の子を以て之に妻はす。公皙哀、字は季次。孔子曰く、「天下行無く、多く家臣と為り都に仕ふ、唯季次のみ未だ嘗て仕へず」と。曾蒧、字は皙。孔子に侍る。孔子曰く、「爾の志を言へ」と。蒧曰く、「春服既に成り、冠者五六人、童子六七人、沂に浴し、舞雩に風し、詠じて帰らん」と。孔子喟爾として嘆じて曰く、「吾は蒧に与せん」と。
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