孔子家語 / 子路初見
孔子謂宰予曰:「違山十里,蟪蛄之聲,猶在於耳,故政事莫如應之。」
新字:孔子謂宰予曰:「違山十里,蟪蛄之声,猶在於耳,故政事莫如応之。」
書き下し
孔子宰予に謂いて曰わく、「山を違ること十里、蟪蛄の声、猶お耳に在り、故に政事は之に応ずるに如くは莫し。」
現代語訳
孔子が宰予に言った。「山を十里も離れても、蜩の鳴き声はなお耳に残っている。だから政治において大切なことは、目の前のことに即座に応じることに他ならない。」
解説
遠く離れても耳に残り続ける蟬の声を例えに、孔子が政治において即応性の大切さを説いた短い言葉です。問題や訴えは、たとえ一見小さく見えても、対応を怠れば蟬の声のようにいつまでも尾を引き、後々まで影響を残します。だからこそ政治にあたる者は、物事が起きたその場でこそ迅速に対応すべきだという教えです。直前の逸話で孔子自身が季康子のもとへ繰り返し足を運んだように、後回しにせずその都度向き合うという姿勢と一貫しています。問題を先送りにすればするほど根深くなるという発想は、現代の組織運営における課題への初動対応の重要性にも通じる教訓です。
この章句が説くこと
孔子宰予蟪蛄之声即応政事
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説苑・政理孔子、季康子に見ゆるも、康子説ばず。孔子又之に見ゆ。宰予曰く、「吾之を夫子に聞く、『王公聘せざれば動かず』と。今吾子の司寇に見ゆるや少しく数なり。」孔子曰く、「魯国衆を以て相陵ぎ、兵を以て相暴すること日久し。而るに有司治めず。我を聘する者孰か大ならん。」是に於て魯人之を聞きて曰く、「聖人将に治めんとするに、何ぞ先に自ら刑罰を為さざるや。」是より之後、国に争う者無し。孔子弟子に謂いて曰く、「山を違ること十里、蟪蛄の声猶尚存すのみ。政事は膺に如くもの無し。」古の魯の俗、塗里の間、羅門の羅、収門の魚、独り礼を得たり。是を以て孔子之を善しとす。夫れ塗里の間は、富家貧しき者の為に出す。羅門の羅は、親有る者は多く取り、親無き者は少なく取る。収門の漁は、親有る者は巨きなるを取り、親無き者は小なるを取る。
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説苑・政理子貢曰く、「葉公、政を夫子に問う。夫子曰く、『政は附近來遠に在り』と。魯の哀公、政を夫子に問う。夫子曰く、『政は臣を諭すに在り』と。齊の景公、政を夫子に問う。夫子曰く、『政は節用に在り』と。三君政を夫子に問いて、夫子之に應ずること同じからず。然らば則ち政に異なる有るか。」孔子曰く、「夫れ荊の地は廣くして都は狹く、民離志有り。故に曰く、附近して遠を來すに在り、と。哀公に臣三人有り、內には周公を比して以て其の君を惑わし、外には諸侯賓客を障げて以て其の明を蔽う。故に曰く、政は臣を諭すに在り、と。齊の景公、臺榭に奢り、苑囿に淫し、五官の樂解けず、一旦にして人に百乘の家を賜う者三たびす。故に曰く、政は節用に在り、と。此の三者は政なり。詩に云わずや、『亂離斯に瘼み、爰に其れ適に歸せん』とは、此れ離散を傷みて以て亂と為す者なり。『其の共を止めず、惟れ王の邛』とは、此れ姦臣の主を蔽うを傷みて以て亂と為す者なり。『相亂れて資無く、魯我が師を惠まず』とは、此れ奢侈節せざるを傷みて以て亂と為す者なり。此の三者の欲する所を察するに、政其れ同じきかな。」