孔子家語 / 顏回
顏回問小人。孔子曰:「毀人之善,以為辯;狡訐懷詐,以為智。幸人之有過,恥學而羞不能。小人也。」
新字:顏回問小人。孔子曰:「毀人之善,以為弁;狡訐懐詐,以為智。幸人之有過,恥学而羞不能。小人也。」
書き下し
顏回小人を問う。孔子曰わく、「人の善を毀りて、以て辯と為す。狡訐にして詐りを懐き、以て智と為す。人の過ち有るを幸いとし、学ぶを恥じて能わざるを羞ず。小人なり。」
現代語訳
顔回が小人について尋ねた。先生は言った。「人の善行をけなして、それを弁が立つことだと思い込む。陰でこそこそ人を告げ口しながら詐りの心を抱き、それを知恵だと思い込む。人が過ちを犯すのを喜び、学ぶことを恥じ、できないことを恥ずかしいと思う。これが小人というものだ。」
解説
小人とはどのような人物かを尋ねた顔回に、孔子が具体的な行動特性を四つ挙げて答えた問答です。人の善行を貶めることを弁舌の巧みさと勘違いし、陰湿な告げ口や詐りを知恵と思い込み、他人の失敗を喜び、そのくせ自ら学ぶことを恥じて向上を放棄する。いずれも、他者を貶めることで自分を優位に見せようとする一方で、自らを高める努力は避けるという共通の姿勢が根底にあります。前段で示された「君子」の在り方(他者のためを軽んじない、自然に正しく振る舞う)と対比すると、小人の像がより際立ちます。他人の失敗や欠点を材料に自分を優位に立たせようとする態度への戒めは、現代の人間関係や組織内の振る舞いを省みる上でも有効な指標です。
この章句が説くこと
顔回小人狡訐弁人物評価
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徒然草・第129段顔囘は、志人に労を施さじとなり。すべて人を苦しめ、物を虐ぐる事、賎しき民の志をも奪ふべからず。又幼き子を賺し嚇し、言ひ辱しめて興ずることあり。大人しき人は、まことならねば事にもあらず思へど、幼き心には、身にしみて恐ろしく、恥しく、あさましき思ひ、誠に切なるべし。これを悩して興ずる事、慈悲の心にあらず。大人しき人の、喜び怒り哀れび楽しぶも、皆虚妄なれども、誰か実有の相に著せざる。身を破るよりも、心を痛ましむるは、人を害ふ事なほ甚だし。病を受くる事も、多くは心より受く。外より来る病は少なし。薬を飮みて汗を求むるには、験なき事あれども、一旦恥ぢ恐るゝことあれば、かならず汗を流すは、心のしわざなりといふことを知るべし。凌雲の額を書きて、白頭の人となりし例なきにあらず。
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史記 仲尼弟子列伝顔回は、魯の人なり、字は子淵。孔子より少きこと三十歳。顔淵、仁を問ふ。孔子曰く、「己に克ち礼に復る、天下仁に帰す」と。孔子曰く、「賢なるかな回や、一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り、人は其の憂ひに堪へず、回や其の楽しみを改めず。回や愚なるが如し、退きて其の私を省みれば、亦た以て発するに足る、回や愚ならず。之を用ふれば則ち行ひ、之を捨つれば則ち蔵る、唯我と爾とのみ是れ有るかな」と。回、年二十九、髪尽く白くして蚤く死す。孔子之を哭して慟し、曰く、「吾に回有りて自り、門人益々親しむ」と。魯の哀公問ふ、「弟子は孰をか学を好むと為すか」と。孔子対へて曰く、「顔回なる者有り、学を好み、怒りを遷さず、過ちを貮たびせず。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し」と。
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論語 雍也篇哀公問う、弟子孰か学を好むと為す。孔子対えて曰く、顔回という者あり、学を好む。怒りを遷さず、過ちを二たびせず。不幸短命にして死せり。今は則ち亡し、未だ学を好む者を聞かざるなり。
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論語 公冶長篇子曰く、『回や、その心三月仁に違わず。其の余は則ち日月至るのみ。』
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中庸子曰く、「回(かい)の人と為(な)りや、中庸を択び、一善を得れば、則ち拳拳(けんけん)服膺(ふくよう)して之を失わず」と。
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説苑・辨物孔子晨(あした)に堂上に立ち、哭する者の声音甚だ悲しきを聞く。孔子琴を援(と)りて之を鼓す、其の音同じ。孔子出づるに、弟子吒(さ)する者有り。問う、「誰ぞや。」曰わく、「回なり。」孔子曰わく、「回何為(なんす)れぞ吒するや。」回曰わく、「今者哭する者有り、其の音甚だ悲し。独り死を哭するのみに非ず、又生きて離るる者を哭するなり。」孔子曰わく、「何を以て之を知るや。」回曰わく、「完山の鳥に似たり。」孔子曰わく、「何如(いかん)。」回曰わく、「完山の鳥四子を生み、羽翼已に成りて乃ち四海に離る。哀鳴して之を送るは、是れ往きて復た返らざればなり。」孔子人をして哭する者に問わしむ。哭する者曰わく、「父死して家貧しく、子を売りて以て之を葬らんとす、将に其れ与に別れんとするなり。」孔子曰わく、「善いかな、聖人なり。」