孔子家語 / 弟子行
恭老恤幼,不忘賓旅。好學博藝,省物而勤也,是冉求之行也。孔子因而語之曰:『好學則智,恤孤則惠。恭則近禮,勤則有繼。堯舜篤恭,以王天下。其稱之也,曰宜為國老。』
新字:恭老恤幼,不忘賓旅。好学博芸,省物而勤也,是冉求之行也。孔子因而語之曰:『好学則智,恤孤則恵。恭則近礼,勤則有継。堯舜篤恭,以王天下。其称之也,曰宜為国老。』
書き下し
老を恭び幼を恤み、賓旅を忘れず。學を好み藝を博くし、物を省みて勤む、是れ冉求の行なり。孔子因りて之に語りて曰わく、『學を好めば則ち智あり、孤を恤めば則ち惠あり。恭なれば則ち禮に近く、勤なれば則ち繼有り。堯舜篤恭にして、以て天下に王たり。其れ之を稱するや、宜しく國老と為るべしと曰う。』と。
現代語訳
老人を敬い幼い者をいたわり、旅人や客人への配慮を忘れない。学問を好んで諸芸に通じ、物事を省みてよく努める。これが冉求の人となりである。孔子はそこで彼にこう語った。『学問を好めば智恵が備わり、孤児をいたわれば恵み深くなる。恭しければ礼に近づき、勤勉であれば事業が受け継がれていく。堯・舜は篤く恭しくあることによって天下の王となった。だからこそ、彼のような人物は国の重鎮とするにふさわしいと言うのだ。』と。
解説
冉求は政治的手腕に優れた弟子として知られ、ここでは老幼への思いやりと客人への気配りに加え、学問への熱心さと勤勉さが評価されています。孔子は「学を好めば智あり、孤を恤めば恵あり」と、日頃の姿勢がそのまま徳性の獲得につながると説き、堯・舜が篤く恭しい態度によって天下を治めたことを引き合いに、恭敬と勤勉の積み重ねが人を重鎮たらしめると述べます。他者への配慮と学び続ける姿勢を両立させることの大切さは、現代の組織においても長く信頼される人材の条件として通じるものです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
冉求恭敬勤勉好学堯舜
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『洗心洞箚記』後自述嗚呼、之を総ぶるに、忠信の人と雖も、然も学を好まざれば、則ち孔子の坊を潰決するに庶し。而るを況んや浮文冥行の人をや。況んや徒に詩書執礼を学ぶ者をや。而して其の好学の二字は、一つは則ち孔子自ら言ひ、一つは則ち顔子を称するに之を以てし、而して未だ嘗て之を其の余の人に許さず。則ち其の重きこと知るべし。是の故に人孔門の四教を奉遵して、以て詩書執礼に従事すと雖も、然も其の好学の訣を知らざれば、則ち将に其の性の近き所に従ひて入らんとして、却つて其の性の近き所に偏り、以て道徳太虚の微を窺ふを得ず、遂に浮文冥行忠信にして学を好まざるの窠臼に墜ちて、一生頭を出だし身を跳らすこと能はず。古往今来、其の人数ふるに堪へず。是れ豈に惜しむべからざらんや。故に後進者は、好学の訣を知らざるべからざるなり。
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