孔子家語 / 六本
齊高庭問於孔子曰:「庭不曠山,不直地。衣穰而提贄,精氣以問事君子之道,願夫子告之。」孔子曰:「貞以幹之,敬以輔之;施仁無倦;見君子則舉之,見小人則退之。去汝惡心,而忠與之。效其行,修其禮;千里之外,親如兄弟。行不效,禮不修;則對門不汝通矣。夫終日言,不遺己之憂;終日行,不遺己之患;唯智者能之。故自修者,必恐懼以除患,恭儉以避難者也。終身為善,一言則敗之。可不慎乎?」
新字:斉高庭問於孔子曰:「庭不曠山,不直地。衣穰而提贄,精気以問事君子之道,願夫子告之。」孔子曰:「貞以幹之,敬以輔之;施仁無倦;見君子則舉之,見小人則退之。去汝悪心,而忠与之。効其行,修其礼;千里之外,親如兄弟。行不効,礼不修;則対門不汝通矣。夫終日言,不遺己之憂;終日行,不遺己之患;唯智者能之。故自修者,必恐懼以除患,恭倹以避難者也。終身為善,一言則敗之。可不慎乎?」
書き下し
斉の高庭、孔子に問いて曰わく、「庭山を曠しくせず、地を直くせず。穣を衣、贄を提げ、精気以て君子に事うるの道を問う、願わくは夫子之れを告げよ。」孔子曰わく、「貞を以て之れを幹し、敬を以て之れを輔け、仁を施して倦む無かれ。君子を見れば則ち之れを挙げ、小人を見れば則ち之れを退く。汝の悪心を去りて、忠もて之れに与れ。其の行いに効い、其の礼を修めば、千里の外も親しきこと兄弟の如し。行い効わず、礼修まらざれば、則ち門に対するも汝と通ぜざらん。夫れ終日言いて、己の憂いを遺さず、終日行いて、己の患いを遺さざるは、唯だ智者のみ能くす。故に自ら修むる者は、必ず恐懼して以て患いを除き、恭倹にして以て難を避くる者なり。終身善を為すも、一言にして則ち之れを敗る。慎まざる可けんや。」
現代語訳
斉の高庭が孔子に尋ねた。「私は山を越えるほどの見識も、地を正すほどの力もありませんが、粗末な衣を着て贈り物を携え、真心をもって君子にお仕えする道をお尋ねいたします。どうか先生、お教えください。」孔子は言った。「まっすぐな心でその身を貫き、敬意をもってそれを支え、仁を施して怠らないことだ。君子を見たら推挙し、小人を見たら遠ざけよ。お前の悪しき心を捨て去り、真心をもって人と関われ。その人の行いに倣い、礼を修めれば、千里離れた者とも兄弟のように親しくなれる。行いが倣わず、礼が修まらなければ、たとえ門を向かい合わせにしていても、心は通じ合わない。一日中話していても自分の心配事を残さず、一日中行動していても自分に災いを残さない、これができるのはただ智者だけである。だから自らを修める者は、必ず恐れ慎んで災いを取り除き、恭しく倹約して困難を避けるものだ。生涯にわたって善を行っていても、たった一言で台無しにしてしまうこともある。慎まなければならないのではないか。」
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
-
『五常訓』巻之四・礼一朱子曰、礼は即理の節文なり。いふ意は、万の行、道理にかなひて、過不及なく、程よきを云ふ。飲食の一事をいはば、うゑかわく時に飲み食ふは理なり。されども、飲み食ふべき理なりとて、みだりに多く飲み食へば、放逸にして、みだりがはしく、又必病を生ず。飲み食ふべき理にあたりて、過不及なく、よき程なるが、理の節文なり。万の事、是を以て知るべし。
-
『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
-
『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
-
『五常訓』巻之四・礼一威儀をつつしみ、衣冠を正しくし、視ること、聴くこと、言ふこと、動くことの四事につきて、各過不及なく、よき程の法あり。又親につかへ、君につかふるに、各さだまれる法あり。兄弟、夫婦に対し、賓客にまじはり、臣下に対し、民をつかひ、先祖鬼神をまつるも法あり。是礼は、皆天理のよき程なる節文にして、人事の定まれる作法なり。仁義皆理なりといへども、とりわき礼を理といへるに子細あり。理とは行ふべきすぢめなり。万事を行ふに、皆定まりたる作法あり。是人の行ふべきすぢめなり。是即礼なり。ここを以て聖人の説き給へる礼の字は、理の字にあたれり。然れども理といはずして礼といへるに、子細あり。理といへば形と事にあらはれたる迹なくして、虚なり。
-
『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。