孔子家語 / 辯政
孔子曰:「忠臣之諫君,有五義焉。一曰譎諫,二曰戇諫,三曰降諫,四曰直諫,五曰風諫。唯度主而行之,吾從其風諫乎?」
新字:孔子曰:「忠臣之諫君,有五義焉。一曰譎諫,二曰戇諫,三曰降諫,四曰直諫,五曰風諫。唯度主而行之,吾従其風諫乎?」
書き下し
孔子曰わく、「忠臣の君を諫むるに、五義有り。一に曰わく譎諫、二に曰わく戇諫、三に曰わく降諫、四に曰わく直諫、五に曰わく風諫。唯だ主を度りて之を行う、吾れ其の風諫に從わんか。」
現代語訳
孔子は言った。「忠臣が主君を諫めるには、五つのやり方がある。一つは遠回しに諭す譎諫、二つは愚直に直言する戇諫、三つは自らへりくだって諫める降諫、四つは率直に言う直諫、五つは遠回しに風刺してほのめかす風諫である。ただ主君の器量をよく見極めたうえでこれを用いるべきだ。私ならば、風諫に従うだろうか。」
解説
忠臣が主君を諫める五つの方法を分類した一節です。遠回しに諭す「譎諫」、まっすぐ愚直に言う「戇諫」、へりくだって諫める「降諫」、率直に言う「直諫」、遠回しに風刺する「風諫」という五種類があり、孔子はどれか一つが常に正しいのではなく、主君の器量や性格を見極めたうえで使い分けるべきだと説きます。そして自分ならば、最も穏やかで角の立たない「風諫」を選ぶだろうと述べています。相手の受け止め方に応じて伝え方を変えるという発想は、上司や目上の人に意見を伝える際のコミュニケーションのあり方として、現代にも通じる実践的な知恵です。
この章句が説くこと
忠臣諫言風諫直諫コミュニケーション
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葉隠・聞書第一御縁組(ごえんぐみ)の時、何某(なにがし)一分(いちぶん)を申し達し候。この事、若き衆(しゅう)よく心得(こころえ)置くべき事なり。その身(み)気味(きみ)よく思うて、云(い)ふべき事を云うて腹切(はらき)りても本望(ほんもう)と思ふべし。よくよく了簡(りょうけん)候へ、何の益(えき)にも立たぬ事なり。我(われ)かやうの事を云うて腹切りても本望と思ふは、なるほど聞(きこ)えたり。曲者(くせもの)などと思ふは以(もっ)ての外(ほか)なる取違(とりちが)ひなり。まづ申し出でたる事その詮(せん)なく、我が身は引き取り、御養育(ごよういく)も仕(つかまつ)らず、追付(おっつ)け御死去(ごしきょ)なされ候に、御看病(ごかんびょう)も仕らず、残念千万(ざんねんせんばん)なり。気過(きす)ぎなる人は多分(たぶん)誤(あやま)る所なり。総(そう)じてその位(くらい)に至らずして諫言(かんげん)するは却(かえ)つて不忠(ふちゅう)なり。誠(まこと)の者ならば、我が存(ぞん)じ寄りたる事を似合(にあ)ひたる人に潜(ひそ)かに内談(ないだん)して、その人の思ひ寄りにさせて云へば、その事調(ととの)はるなり。これ忠節(ちゅうせつ)なり。もし、内談にてその人請(う)け合はずば、また外(ほか)の人にも内談し、とかく色々心遣(こころづか)ひをして、その事さへ調はるる様にすれば、大忠節(だいちゅうせつ)も知れぬ様にして居るものなり。幾人(いくにん)に内談しても、埒(らち)明かざる時は力に及ばず、その分(ぶん)にて打ち過ぎ、または起こし立て起こし立てすれば、多分叶(かな)ふものなり。我こそ曲者と云はるる名聞(みょうもん)ばかりにて、我が手柄(てがら)にするゆゑ調はざるなり。申し出でたる事益には立たず、人に難(なん)ぜられ、我が身を崩(くず)したる人数多(あまた)これあるなり。畢竟(ひっきょう)真(しん)の志(こころざし)なきゆゑなり。我が身を一向(いっこう)に捨て捨てて、主君の上(うえ)どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛(まぎ)るる事はこれなく候なり。
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