孔子家語 / 賢君
顏淵將西遊於宋,問於孔子曰:「何以為身?」子曰:「恭敬忠信而已矣。恭則遠於患,敬則人愛之,忠則和於眾,信則人任之。勤斯四者,可以政國,豈特一身者哉?故夫不比於數,而比於踈,不亦遠乎?不修其中,而修外者,不亦反乎?慮不先定,臨事而謀,不亦晚乎?」
新字:顏淵将西遊於宋,問於孔子曰:「何以為身?」子曰:「恭敬忠信而已矣。恭則遠於患,敬則人愛之,忠則和於眾,信則人任之。勤斯四者,可以政国,豈特一身者哉?故夫不比於数,而比於疎,不亦遠乎?不修其中,而修外者,不亦反乎?慮不先定,臨事而謀,不亦晩乎?」
書き下し
顏淵將に西のかた宋に遊ばんとし、孔子に問いて曰わく、「何を以て身と為さん。」子曰わく、「恭敬忠信のみ。恭なれば則ち患いに遠く、敬なれば則ち人之を愛し、忠なれば則ち眾に和し、信なれば則ち人之に任す。斯の四者を勤むれば、以て國を政む可し、豈に特り一身のみならんや。故に夫れ數に比せずして、踈に比す、亦た遠からずや。其の中を修めずして、外を修むる者は、亦た反せずや。慮先んじて定まらず、事に臨みて謀るは、亦た晚からずや。」
現代語訳
顔淵が西方の宋の国へ遊学しようとして、孔子に尋ねた。「どのように我が身を処すべきでしょうか。」孔子は言った。「恭しさ・敬い・忠実さ・誠実さ、この四つだけである。恭しくあれば災いから遠ざかり、人を敬えば人に愛され、忠実であれば人々と調和し、誠実であれば人に信頼して任せてもらえる。この四つに努めれば、一国を治めることさえできる。ましてや我が身一つを処することにおいてなおさらではないか。それなのに、親しむべき者に親しまず、疎遠な者に親しむのでは、道から遠ざかっているのではないか。自分の内面を修めずに、外見ばかりを飾るのでは、本末が転倒しているのではないか。あらかじめ考えを定めておかず、事が起きてから初めて対策を考えるのでは、遅すぎるのではないか。」
解説
遠く宋の国へ遊学しようとする顔淵に、孔子は「恭・敬・忠・信」という四つの徳目を身の処し方の要諦として授けます。この四つを実践すれば一国の政治さえ担えるとし、まして一身を処すには十分だと述べたうえで、親しむべき人間関係を疎かにすること、内面を整えずに外見だけを装うこと、事前の心構えを怠って事が起きてから慌てて対策を考えることの三つを、いずれも本末転倒だと戒めます。旅立つ弟子への餞の言葉として、日頃からの心構えと備えの大切さを説くこの一節は、新しい環境に踏み出す人への普遍的な助言として読むことができます。
この章句が説くこと
顔淵恭敬忠信備え遊学身の処し方
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孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
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