孔子家語 / 弟子行
自見孔子,出入於戶,未嘗越禮。往來過之,足不履影。啟蟄不殺,方長不折。執親之喪,未嘗見齒,是高柴之行也。孔子曰:『柴於親喪,則難能也,啟蟄不殺,則順人道。方長不折,則恕仁也。成湯恭而以恕,是以日隮。』
新字:自見孔子,出入於戸,未嘗越礼。往来過之,足不履影。啓蟄不殺,方長不折。執親之喪,未嘗見歯,是高柴之行也。孔子曰:『柴於親喪,則難能也,啓蟄不殺,則順人道。方長不折,則恕仁也。成湯恭而以恕,是以日隮。』
書き下し
孔子に見えてより、戶を出入するに、未だ嘗て禮を越えず。往來之を過ぐるに、足影を履まず。啟蟄には殺さず、方に長ずるは折らず。親の喪を執るに、未だ嘗て齒を見さず、是れ高柴の行なり。孔子曰わく、『柴の親の喪に於けるは、則ち能くし難きなり。啟蟄に殺さざるは、則ち人道に順うなり。方に長ずるを折らざるは、則ち恕仁なり。成湯恭にして以て恕なり、是を以て日に隮る。』と。
現代語訳
孔子に師事してからというもの、戸口の出入りにおいて礼を踏み外したことがない。人の行き来する場所を通るときも、他人の影さえ踏まない。冬眠から目覚めたばかりの虫を殺さず、成長しつつある草木を折らない。親の喪に服すときは、決して歯を見せて笑わない。これが高柴の人となりである。孔子は言った。『柴が親の喪において見せる姿勢は、なかなかできることではない。冬眠明けの虫を殺さないのは、自然の道理に従うということだ。伸び盛りの草木を折らないのは、思いやりの心そのものだ。殷の湯王は恭しく思いやり深かったからこそ、日ごとに徳が高まっていった。』と。
解説
高柴(子羔)は、礼儀作法への徹底した忠実さと、生き物や自然への配慮が際立つ弟子です。冬眠明けの虫を殺さず伸び盛りの若木を折らないという振る舞いは、単なる礼儀作法を超えて、あらゆる生命の成長を尊重する仁の心の表れとして孔子に評価されています。親の喪に際して決して笑顔を見せないという徹底ぶりも合わせ、孔子は殷の湯王の恭しさと思いやりを引き合いに、日々の小さな配慮の積み重ねが徳を高めていくと説きます。目に見えにくい細部への配慮こそが人格を形づくるという教えは、現代の日常倫理にも通じます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
高柴子羔礼儀思いやり成湯
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