孔子家語 / 弟子行
子貢對曰:「夫能夙興夜寐,諷誦崇禮;行不貳過,稱言不茍,是顏回之行也。孔子說之以詩曰:『媚茲一人,應侯慎德。永言孝思,孝思惟則。』
新字:子貢対曰:「夫能夙興夜寐,諷誦崇礼;行不貳過,称言不茍,是顏回之行也。孔子説之以詩曰:『媚茲一人,応侯慎徳。永言孝思,孝思惟則。』
書き下し
夫れ能く夙に興き夜に寐ね、諷誦崇禮す。行いて過ちを貳びせず、言を稱すること茍しくせず、是れ顏回の行なり。孔子之を說くに詩を以て曰わく、『茲の一人を媚び、侯れ慎德に應ず。永く孝思を言う、孝思惟れ則る。』と。
現代語訳
朝早くから夜遅くまで励み、詩を誦し礼を尊ぶことができ、同じ過ちを二度と繰り返さず、発言をいい加減にしない。これが顔回の人となりである。孔子はこれを詩経の言葉で評した。『この一人を愛おしみ、諸侯の慎み深い徳に応える。長く孝行の心を語り、孝行の心こそが則るべき規範である。』と。
解説
顔回は孔子門下随一の高弟として知られ、ここでは「過ちを二度と繰り返さない(不貳過)」姿勢が特筆されています。これは『論語』でも孔子が顔回を評した言葉として知られる特質で、失敗そのものより同じ過ちを繰り返さない自己修正力を重んじる姿勢を示しています。早朝から夜まで学問に励み、言葉を軽々しく発しないという生活態度も合わせて、地道な努力と誠実な言動の積み重ねが人格の完成に至る道筋を教えています。同じ失敗を繰り返さないという一点は、現代の仕事や学習における振り返りの姿勢にも直結する普遍的な教訓です。
この章句が説くこと
顔回不貳過孝思詩経努力
関連する章句
-
中庸子曰く、「回(かい)の人と為(な)りや、中庸を択び、一善を得れば、則ち拳拳(けんけん)服膺(ふくよう)して之を失わず」と。
-
徒然草・第129段顔囘は、志人に労を施さじとなり。すべて人を苦しめ、物を虐ぐる事、賎しき民の志をも奪ふべからず。又幼き子を賺し嚇し、言ひ辱しめて興ずることあり。大人しき人は、まことならねば事にもあらず思へど、幼き心には、身にしみて恐ろしく、恥しく、あさましき思ひ、誠に切なるべし。これを悩して興ずる事、慈悲の心にあらず。大人しき人の、喜び怒り哀れび楽しぶも、皆虚妄なれども、誰か実有の相に著せざる。身を破るよりも、心を痛ましむるは、人を害ふ事なほ甚だし。病を受くる事も、多くは心より受く。外より来る病は少なし。薬を飮みて汗を求むるには、験なき事あれども、一旦恥ぢ恐るゝことあれば、かならず汗を流すは、心のしわざなりといふことを知るべし。凌雲の額を書きて、白頭の人となりし例なきにあらず。
-
論語 雍也篇哀公問う、弟子孰か学を好むと為す。孔子対えて曰く、顔回という者あり、学を好む。怒りを遷さず、過ちを二たびせず。不幸短命にして死せり。今は則ち亡し、未だ学を好む者を聞かざるなり。
-
史記 仲尼弟子列伝顔回は、魯の人なり、字は子淵。孔子より少きこと三十歳。顔淵、仁を問ふ。孔子曰く、「己に克ち礼に復る、天下仁に帰す」と。孔子曰く、「賢なるかな回や、一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り、人は其の憂ひに堪へず、回や其の楽しみを改めず。回や愚なるが如し、退きて其の私を省みれば、亦た以て発するに足る、回や愚ならず。之を用ふれば則ち行ひ、之を捨つれば則ち蔵る、唯我と爾とのみ是れ有るかな」と。回、年二十九、髪尽く白くして蚤く死す。孔子之を哭して慟し、曰く、「吾に回有りて自り、門人益々親しむ」と。魯の哀公問ふ、「弟子は孰をか学を好むと為すか」と。孔子対へて曰く、「顔回なる者有り、学を好み、怒りを遷さず、過ちを貮たびせず。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し」と。
-
論語 公冶長篇子曰く、『回や、その心三月仁に違わず。其の余は則ち日月至るのみ。』
-
説苑・辨物孔子晨(あした)に堂上に立ち、哭する者の声音甚だ悲しきを聞く。孔子琴を援(と)りて之を鼓す、其の音同じ。孔子出づるに、弟子吒(さ)する者有り。問う、「誰ぞや。」曰わく、「回なり。」孔子曰わく、「回何為(なんす)れぞ吒するや。」回曰わく、「今者哭する者有り、其の音甚だ悲し。独り死を哭するのみに非ず、又生きて離るる者を哭するなり。」孔子曰わく、「何を以て之を知るや。」回曰わく、「完山の鳥に似たり。」孔子曰わく、「何如(いかん)。」回曰わく、「完山の鳥四子を生み、羽翼已に成りて乃ち四海に離る。哀鳴して之を送るは、是れ往きて復た返らざればなり。」孔子人をして哭する者に問わしむ。哭する者曰わく、「父死して家貧しく、子を売りて以て之を葬らんとす、将に其れ与に別れんとするなり。」孔子曰わく、「善いかな、聖人なり。」