孔子家語 / 好生
孔子讀史至楚復陳,喟然嘆曰:「賢哉楚王!輕千乘之國,而重一言之信,匪申叔之信,不能達其義,匪莊王之賢,不能受其訓。」
新字:孔子読史至楚復陳,喟然嘆曰:「賢哉楚王!軽千乗之国,而重一言之信,匪申叔之信,不能達其義,匪荘王之賢,不能受其訓。」
書き下し
孔子史を読みて楚の陳を復するに至り、喟然として嘆じて曰わく、「賢なるかな楚王、千乗の国を軽んじて、一言の信を重んず。申叔の信に匪ずんば、其の義を達する能わず、荘王の賢に匪ずんば、其の訓を受くる能わず。」
現代語訳
孔子が歴史書を読み、楚が陳の国を復興させた記事に至ったとき、感嘆して言った。「賢明なことだ、楚王は。千の兵車を持つ国を軽んじてまでも、たった一言の信義を重んじたのだ。申叔の信義がなければ、その正義は伝わらなかっただろう。荘王の賢明さがなければ、その教えを受け入れることはできなかっただろう。」
解説
楚の荘王が、一度は滅ぼして自国の領土に組み入れた陳の国を、家臣・申叔の諫言を受けて元通り復興させたという史実に対する孔子の賞賛の言葉です。国益や領土の拡大という現実的な利益よりも、道理にかなった一言の忠告を重んじて自らの過ちを正した楚王の判断力と、命がけで正しい道理を説いた申叔の勇気の両方があって初めて、この立派な結末が実現したと孔子は評価しています。目先の利益にとらわれず、正しい忠告を受け入れて過ちを改める度量が、真に賢明な指導者の条件であるという教えであり、間違いに気づいたときにすぐ引き返せるかどうかが、その人物の器を測る一つの基準になることを示しています。
この章句が説くこと
楚荘王復陳申叔信義過ちを改める
関連する章句
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史記 陳杞世家楚莊王徵舒を誅し、因りて陳を県として之を有つ。群臣畢く賀す。申叔時齊に使ひして還るに、独り賀せず。莊王其の故を問ふ。対へて曰く、「鄙語に之れ有り、『牛を牽きて人の田を径る、田主之が牛を奪ふ』と。径るは則ち罪有り、之が牛を奪ふは、亦た甚だしからずや。今王徵舒を賊にして君を弒すと為し、故に兵を諸侯に徴し、義を以て之を伐つ。已にして之を取り、以て其の地を利せば、則ち後何を以て天下に令せんや。是を以て賀せず」と。莊王曰く、「善し」と。乃ち陳の靈公の太子午を晉に迎へて之を立つ。孔子曰く、「賢なるかな楚莊王、千乗の国を軽んじて一言を重んず」と。
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『淮南子』人間訓故に仁者は欲を以て生を傷らず、知者は利を以て義を害せず。聖人の思いは修く、愚人の思いは叕し。忠臣なる者は君の德を崇くするに務め、諂臣なる者は君の地を廣むるに務む。何を以て之を明らかにせん。陳の夏徵舒 其の君を弒す。楚の莊王 之を伐ち、陳人 令を聽く。莊王 有罪を討つを以て、卒を遣わして陳に戍らしむ。大夫 畢く賀す。申叔時 齊に使いし、反り還りて賀せず。莊王曰く「陳 無道を爲す。寡人 九軍を起こして以て之を討ち、暴亂を征し、罪人を誅す。群臣 皆な賀するに、子 獨り賀せざるは、何ぞや」と。申叔時曰く「牛を牽きて人の田を蹊る。田主 其の人を殺して其の牛を奪う。罪は則ち之れ有り、罰も亦た重し。今 君王 陳を以て無道と爲し、兵を興して攻め、因りて以て罪人を誅し、人を遣わして陳に戍らしむ。諸侯 之を聞かば、王を以て罪人を誅するに非ずして、陳國を貪ると爲さん。蓋し聞く、君子は義を棄てて以て利を取らずと」と。王曰く「善し」と。乃ち陳の戍を罷めて、陳の後を立つ。諸侯 之を聞き、皆な楚に朝す。此れ君の德を崇くするに務むる者なり。
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孔子家語・正論解鄭陳を伐ち、之に入る。子產をして捷を晉に獻ぜしめ、晉人陳の罪を問う。子產對えて曰く、「陳周の大德を亡じ、楚の眾を介恃して、弊邑を馮陵す、是を以て往年の告有り。未だ命を獲ざれば、則ち又東門の役有り。陳隧に當たる者、井堙(いんえん)し木刊(き)らる。弊邑大いに懼れ、天其の裏(うち)を誘き、弊邑の心を啟き、其の罪を知り、首を我に校(いた)す、用て敢えて功を獻ず。」晉人曰く、「何故に小を侵すか。」對えて曰く、「先王の命、惟だ罪の在る所、各々其の辟を致す。且つ昔天子は一圻、列國は一同、是より以て衰う、周の制なり。今大國は數圻多し、若し小を侵す無くんば、何を以て焉に至らんや。」晉人曰く、「其の辭順なり。」孔子之を聞き、子貢に謂いて曰く、「志之有り、言は以て志を足し、文は以て言を足す。言わざれば、誰か其の志を知らん。言いて文無ければ、行われて遠からず。晉鄭伯の爲に陳に入るは、文辭に非ざれば功と爲さず。小子慎めよ。」
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孔子家語・辯政楚王將に荊臺に遊ばんとし、司馬子祺諫むるも、王之を怒る。令尹子西殿下に賀して、諫めて曰わく、「今荊臺の觀は、失う可からざるなり。」王喜びて子西の背を拊ちて曰わく、「子と共に之を樂しまん。」子西馬を步ませて十里、轡を引きて止まり、曰わく、「臣願わくは道有るを言わん、王肯えて之を聽かんか。」王曰わく、「子其れ之を言え。」子西曰わく、「臣聞く人臣為りて其の君に忠なる者は、爵祿以て賞するに足らず。其の君に諛う者は、刑罰以て誅するに足らずと。夫れ子祺は、忠臣なり。而して臣は、諛臣なり。願わくは王忠を賞して諛を誅せよ。」王曰わく、「我今司馬の諫を聽く、是れ獨り能く我を禁ずるのみ。若し後世之に遊ばば、何ぞや。」子西曰わく、「後世を禁ずるは易きのみ。大王萬歲の後、山陵を荊臺の上に起こせ。則ち子孫必ず父祖の墓に遊びて、以て歡樂を為すに忍びざらん。」王曰わく、「善し。」乃ち還る。孔子之を聞きて曰わく、「至れるかな、子西の諫めや。之を千里の上に入れ、之を百世の後に抑うる者なり。」
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『新序』雜事第四晉人楚を伐ち、三舍にして止まず。大夫曰く、請う、之を撃たん、と。莊王曰く、先君の時、晉楚を伐たず。孤の身に及びて、晉楚を伐つ。是れ寡人の過ちなり。如何ぞ其れ諸大夫を辱めんや、と。大夫曰く、先君の時、晉楚を伐たず。臣の身に及びて、晉楚を伐つ。是れ臣の罪なり。請う、之を撃たん、と。莊王俛して泣きて起ち、諸大夫を拜す。晉人之を聞きて曰く、君臣爭いて過ちを以て己に在りと爲す。且つ君の其の臣に下ること猶お此くの如し。所謂上下心を一にし、三軍力を同じくす。未だ攻む可からざるなり、と。乃ち夜師を還す。孔子之を聞きて曰く、楚の莊王の霸たるは、其れ方有らんか。士に下ること一言を以てして敵還り、以て社稷を安んず。其の霸たるも亦た宜ならずや、と。詩に曰く、遠きを柔らげ邇きを能くし、以て我が王を定む、と。此の謂いなり。