孔子家語 / 好生
楚王出遊,亡弓,左右請求之。王曰:「止,楚王失弓,楚人得之,又何求之!」孔子聞之,惜乎其不大也,不曰人遺弓,人得之而已,何必楚也。
書き下し
楚王出遊するに、弓を亡う、左右求めんことを請う。王曰わく、「止めよ、楚王弓を失い、楚人之を得ん、又何ぞ求めんや。」孔子之を聞き、惜しむらくは其の大ならざるなり、人弓を遺し、人之を得るのみと曰わずして、何ぞ必ずしも楚とせんやと。
現代語訳
楚王が外出して遊んでいたとき、弓をなくしてしまった。側近たちが探すことを願い出た。王は言った。「よい、探さなくてよい。楚王が弓を失っても、それを手に入れるのは楚の人である。あらためて探し求める必要があろうか。」孔子はこれを聞いて、その度量の大きさが十分でないことを惜しんだ。「人が弓を落とし、それを別の人が拾う」と言えばよいものを、どうして必ずしも「楚」に限定する必要があったのか、というのである。
解説
弓を失った楚王が「楚人が拾うのだから探さなくてよい」と度量の広さを示した有名な逸話に、孔子がさらに一歩踏み込んだ批評を加えた話です。楚王の考え方は、自国の民が得るのだから損失ではないという、国という枠組みの中では確かに寛大な態度です。しかし孔子は、それでもなお「楚」という限定にとらわれている点を惜しみ、「人が弓を失い、人がそれを得るだけのこと」と、国境を越えた人類全体の視点で捉えるべきだったと指摘しています。楚王の度量をさらに超える、より普遍的でとらわれのない視野を求める孔子の姿勢が示されており、一見立派に見える考え方にも、まだ狭さが残っていないか問い直す姿勢の大切さを教えてくれる話です。
この章句が説くこと
楚王失弓度量人得之而已普遍的視野
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