孔子家語 / 三恕
子貢問於孔子曰:「子從父命孝,臣從君命貞乎?奚疑焉。」孔子曰:「鄙哉賜,汝不識也。昔者明王萬乘之國,有爭臣七人,則主無過舉;千乘之國,有爭臣五人,則社稷不危也;百乘之家,有爭臣三人,則祿位不替;父有爭子,不陷無禮;士有爭友,不行不義。故子從父命,奚詎為孝?臣從君命,奚詎為貞?夫能審其所從,之謂孝,之謂貞矣。」
新字:子貢問於孔子曰:「子従父命孝,臣従君命貞乎?奚疑焉。」孔子曰:「鄙哉賜,汝不識也。昔者明王万乗之国,有争臣七人,則主無過舉;千乗之国,有争臣五人,則社稷不危也;百乗之家,有争臣三人,則禄位不替;父有争子,不陥無礼;士有争友,不行不義。故子従父命,奚詎為孝?臣従君命,奚詎為貞?夫能審其所従,之謂孝,之謂貞矣。」
書き下し
子貢孔子に問いて曰わく、「子父の命に従うを孝とし、臣君の命に従うを貞とするか。奚ぞ疑わん。」孔子曰わく、「鄙しいかな賜、汝識らざるなり。昔者明王万乘の国、争臣七人有れば、則ち主過挙無し。千乘の国、争臣五人有れば、則ち社稷危からざるなり。百乘の家、争臣三人有れば、則ち禄位替わらず。父に争子有れば、無礼に陥らず。士に争友有れば、不義を行わず。故に子父の命に従うは、奚ぞ詎ぞ孝と為さん。臣君の命に従うは、奚ぞ詎ぞ貞と為さん。夫れ能く其の従う所を審らかにするを、之を孝と謂い、之を貞と謂うなり。」
現代語訳
子貢が孔子に尋ねた。「子が父の命令に従うのを孝といい、臣が君の命令に従うのを貞というのでしょうか。これは疑う余地のないことだと思いますが。」孔子は言った。「浅はかなことだ、賜よ、お前は分かっていない。昔、明君が治める万乗の大国には、あえて主君を諫める臣が七人いれば、主君に過ちがなかった。千乗の国には、あえて諫める臣が五人いれば、国家が危うくなることはなかった。百乗の家には、あえて諫める臣が三人いれば、禄と地位が奪われることはなかった。父にあえて諫める子がいれば、礼を失う行いに陥ることはない。士にあえて諫める友がいれば、不義を行うことはない。だから、子が父の命令にただ従うことが、どうして孝と言えようか。臣が君の命令にただ従うことが、どうして貞と言えようか。そもそも、何に従うべきかをよく見極めることこそが、孝と言い、貞と言うのである。」
解説

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