孔子家語 / 致思
孔子曰:「季孫之賜我粟千鐘也,而交益親。自南宮敬叔之乘我車也,而道加行。故道雖貴,必有時而後重,有勢而後行。微夫二子之貺財,則丘之道,殆將廢矣。」
新字:孔子曰:「季孫之賜我粟千鐘也,而交益親。自南宮敬叔之乗我車也,而道加行。故道雖貴,必有時而後重,有勢而後行。微夫二子之貺財,則丘之道,殆将廃矣。」
書き下し
孔子曰わく、「季孫の我に粟千鐘を賜うや、而して交わり益々親しむ。南宮敬叔の我が車に乗るより、而して道加々行わる。故に道貴しと雖も、必ず時有りて後に重んぜられ、勢有りて後に行わる。夫の二子の財を貺うこと微くんば、則ち丘の道、殆ど将に廃れんとせり。」
現代語訳
孔子は言った。「季孫氏が私に千鐘もの穀物を下さってから、人との交わりはますます親密になった。南宮敬叔が私に車を貸してくれてから、私の道はいっそう行われるようになった。だから、道はそれ自体が尊いものであっても、時を得て初めて重んじられ、勢いを得て初めて行われるものなのだ。もしあの二人が財を恵んでくれなかったなら、私の道はほとんど廃れてしまっていただろう。」
解説
孔子が、自分の教えが世に広まった背景に季孫氏や南宮敬叔からの物質的な援助があったことを率直に認めている言葉です。道そのものは普遍的に尊いものであっても、それが人々に届き実際に行われるためには、時機や経済的な支えといった現実的な条件が必要であると孔子は認めています。理想を語るだけでなく、それを実現するための手段や後ろ盾の重要性を率直に語る点に、孔子の現実的な一面が表れています。理念や志を掲げる人であっても、それを社会に広め実践するには、支援してくれる人や環境との出会いが不可欠であるという教えは、今日の活動にも通じる示唆です。
この章句が説くこと
季孫南宮敬叔時と勢道の実現現実主義
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