孔子家語 / 五儀解
哀公問於孔子曰:「寡人欲吾國小而能守,大則攻。其道如何?」孔子對曰:「使君朝廷有禮,上下相親,天下百姓皆君之民。將誰攻之?茍為此道,民畔如歸,皆君之讎也。將與誰守?」公曰:「善哉!」於是廢山澤之禁,弛關市之稅,以惠百姓。
新字:哀公問於孔子曰:「寡人欲吾国小而能守,大則攻。其道如何?」孔子対曰:「使君朝廷有礼,上下相親,天下百姓皆君之民。将誰攻之?茍為此道,民畔如帰,皆君之讎也。将与誰守?」公曰:「善哉!」於是廃山沢之禁,弛関市之税,以恵百姓。
書き下し
哀公孔子に問いて曰く、「寡人吾が国小にして能く守り、大なれば則ち攻めんことを欲す。其の道如何。」孔子対えて曰く、「君をして朝廷礼有らしめ、上下相親しましめば、天下の百姓皆君の民なり。将た誰をか之を攻めん。茍くも此の道を為さば、民の畔くこと帰するが如く、皆君の讎なり。将た誰と与にか守らん。」公曰く、「善いかな。」是に於て山沢の禁を廃し、関市の税を弛め、以て百姓を恵む。
現代語訳
哀公が孔子に「私は自国が小さいうちは守りを固め、大きくなれば他国を攻めたいと思っています。その方法はどのようなものでしょうか」と尋ねた。孔子は答えた。「君主が朝廷に礼を行き渡らせ、上下が互いに親しみ合うようにすれば、天下の民はみな君主の民となります。その時、一体誰を攻める必要がありましょうか。もし逆にこの道に反することを行えば、民が離反することは、まるで悪政から逃れて他所へ帰るかのように相次ぎ、みな君主の敵となってしまいます。その時、一体誰と共に国を守れましょうか。」哀公は「なるほど、その通りです」と言った。そこで哀公は山や沢での狩猟・漁労の禁令を廃止し、関所や市場での税を緩め、それによって民に恵みを施した。
解説
「小さいうちは守り、強くなれば攻める」という覇権的な発想を持つ哀公に対し、孔子は軍事力の強弱ではなく、上下の親愛と民心の帰趨こそが国の存亡を決めるのだと説きます。徳による政治が行われれば天下の民すべてが味方となり、逆に道に外れれば民衆自身が敵に転じるという指摘は、力による拡張策の限界を鋭く突くものです。この教えを受けて哀公が実際に禁令や税を緩和し、民に恵みを施したという結末は、言葉だけでなく政策として実を結んだ数少ない実例であり、理念が具体的な施策に反映される過程を示す貴重な章です。
この章句が説くこと
民心徳治哀公攻守恵民
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