孔子家語 / 五儀解
公曰:「善哉!非子之賢,則寡人不得聞此言也。雖然,寡人生於深宮之內,長於婦人之手;未嘗知哀,未嘗知憂,未嘗知勞,未嘗知懼,未嘗知危;恐不足以行五儀之教。若何?」孔子對曰:「如君之言已知之矣,則丘亦無所聞焉。」公曰:「非吾子,寡人無以啟其心。吾子言也。」孔子曰:「君子入廟,如右。登自阼階,仰視榱桷,俯察機筵,其器皆存,而不睹其人。君以此思哀,則哀可知矣。昧爽夙興,正其衣冠;平旦視朝,慮其危難;一物失理,亂亡之端。君以此思憂,則憂可知矣。日出聽政,至於中冥;諸侯子孫,徃來為賓;行禮揖讓,慎其威儀。君以此思勞,則勞亦可知矣。緬然長思,出於四門;周章遠望,睹亡國之墟,必將有數焉。君以此思懼,則懼可知矣。夫君者,舟也;庶人者,水也;水所以載舟,亦所以覆舟。君以此思危,則危可知矣。君既明此五者,又少留意於五儀之事,則於政治,何有失矣?」
新字:公曰:「善哉!非子之賢,則寡人不得聞此言也。雖然,寡人生於深宮之内,長於婦人之手;未嘗知哀,未嘗知憂,未嘗知労,未嘗知懼,未嘗知危;恐不足以行五儀之教。若何?」孔子対曰:「如君之言已知之矣,則丘亦無所聞焉。」公曰:「非吾子,寡人無以啟其心。吾子言也。」孔子曰:「君子入廟,如右。登自阼階,仰視榱桷,俯察機筵,其器皆存,而不睹其人。君以此思哀,則哀可知矣。昧爽夙興,正其衣冠;平旦視朝,慮其危難;一物失理,乱亡之端。君以此思憂,則憂可知矣。日出聴政,至於中冥;諸侯子孫,往来為賓;行礼揖譲,慎其威儀。君以此思労,則労亦可知矣。緬然長思,出於四門;周章遠望,睹亡国之墟,必将有数焉。君以此思懼,則懼可知矣。夫君者,舟也;庶人者,水也;水所以載舟,亦所以覆舟。君以此思危,則危可知矣。君既明此五者,又少留意於五儀之事,則於政治,何有失矣?」
書き下し
公曰く、「善いかな。子の賢に非ずんば、則ち寡人此の言を聞くを得ず。然りと雖も、寡人深宮の内に生まれ、婦人の手に長ず。未だ嘗て哀を知らず、未だ嘗て憂を知らず、未だ嘗て労を知らず、未だ嘗て懼を知らず、未だ嘗て危を知らず。恐らくは以て五儀の教を行うに足らざらん。若何。」孔子対えて曰く、「君の言の如きは已に之を知れり、則ち丘も亦た聞く所無し。」公曰く、「吾子に非ずんば、寡人以て其の心を啓く無し。吾子言え。」孔子曰く、「君子廟に入るは、右の如し。阼階より登り、榱桷を仰視し、機筵を俯察するに、其の器皆存すれども、其の人を睹ず。君此を以て哀を思えば、則ち哀知るべし。昧爽夙興し、其の衣冠を正し、平旦視朝して、其の危難を慮り、一物理を失えば、乱亡の端なり。君此を以て憂を思えば、則ち憂知るべし。日出でて政を聴き、中冥に至るまで、諸侯の子孫、往来して賓と為り、礼を行い揖譲して、其の威儀を慎む。君此を以て労を思えば、則ち労も亦た知るべし。緬然として長思し、四門を出でて、周章遠望し、亡国の墟を睹れば、必ず将に数有らんとす。君此を以て懼を思えば、則ち懼知るべし。夫れ君なる者は、舟なり。庶人なる者は、水なり。水は載舟する所以にして、亦た覆舟する所以なり。君此を以て危を思えば、則ち危知るべし。君既に此の五者を明らかにし、又少しく五儀の事に留意せば、則ち政治に於て、何ぞ失うこと有らんや。」
現代語訳
哀公は「素晴らしいことです。あなたが賢明でなければ、私はこのような言葉を聞くことはできなかったでしょう。しかしながら、私は深い宮殿の中に生まれ、女官たちの手の中で育ちました。今まで一度も哀しみを知らず、憂いを知らず、苦労を知らず、恐れを知らず、危険を知りません。おそらく五儀の教えを実践するには不足しているでしょう。どうすればよいでしょうか」と言った。孔子は「あなたが仰るとおりであれば、それはすでに理解されているということですから、私にはもう申し上げることはございません」と答えた。哀公は「あなたでなければ、私の心を開いてくれる人はいません。どうかお話しください」と言った。孔子は答えた。「君子が宗廟に入るときは、右のようにします。東側の階段から昇り、垂木を見上げ、机や筵を見下ろすと、祭器はすべてそこにあるのに、そこにいたはずの人の姿はもうありません。君主がこれによって哀しみを思えば、哀しみとは何かが分かるでしょう。夜明け前に早く起き、衣服と冠を正し、朝早くから政務を見て、その危険や困難を思いはかり、一つの事柄でも道理を誤れば、それが国の乱れや滅亡の端緒となります。君主がこれによって憂いを思えば、憂いとは何かが分かるでしょう。日が昇ってから政務を聞き、日が暮れて薄暗くなるまで、諸侯の子孫たちが行き来して賓客として訪れ、礼を行い会釈し合いながら、その立ち居振る舞いを慎みます。君主がこれによって労苦を思えば、労苦もまた分かるでしょう。しみじみと長く思いを巡らせ、都の四方の門を出て、あたりを見回し遠くを眺め、滅んだ国の廃墟を目にすれば、必ずそこには数々の理由があったはずだと気づきます。君主がこれによって恐れを思えば、恐れとは何かが分かるでしょう。そもそも君主とは舟であり、民衆とは水です。水は舟を浮かべるものであると同時に、舟を転覆させるものでもあります。君主がこれによって危険を思えば、危険とは何かが分かるでしょう。君主がすでにこの五つを明らかにし、さらに五儀のことに少し心を留めれば、政治において何を見失うことがありましょうか。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『新序』雜事第四哀公孔子に問いて曰く、寡人深宮の中に生まれ、婦人の手に長ず。寡人未だ嘗て哀を知らざるなり、未だ嘗て憂いを知らざるなり、未だ嘗て勞を知らざるなり、未だ嘗て懼れを知らざるなり、未だ嘗て危うきを知らざるなり、と。孔子席を辟けて曰く、吾が君の問いは、乃ち聖君の問いなり。丘は小人なり。何ぞ以て之を言うに足らんや、と。哀公曰く、否。吾子席に就け。吾子微かりせば、之を聞く所無からん、と。孔子席に就きて曰く、然り。君廟門に入り、升るに阼階よりし、仰ぎて榱棟を見、俯して几筵を見る。其の器存し、其の人亡し。君此を以て哀を思わば、則ち哀將に安くんぞ至らざらんとす。君昧爽にして冠を櫛り、平旦にして朝を聽く。一物應ぜざれば、亂の端なり。君此を以て憂いを思わば、則ち憂い將に安くんぞ至らざらんとす。君平旦にして朝を聽き、日昃きて退く。諸侯の子孫、必ず君の門廷に在る者有らん。君此を以て勞を思わば、則ち勞將に安くんぞ至らざらんとす。君魯の四門を出でて、以て魯の四郊を望まば、亡國の墟、列なること必ず數有らん。君此を以て懼れを思わば、則ち懼れ將に安くんぞ至らざらんとす。丘之を聞く、君は舟なり、庶人は水なり。水は則ち舟を載せ、水は則ち舟を覆す、と。君此を以て危うきを思わば、則ち危うき將に安くんぞ至らざらんとす。夫れ國の柄を執り、民の上に履むは、懍乎として腐索を以て犇馬を御するが如し。易に曰く、虎の尾を履む、と。詩に曰く、薄氷を履むが如し、と。亦た危うからずや、と。哀公再拜して曰く、寡人不敏なりと雖も、請う斯の語を事とせん、と。
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荀子・哀公篇魯の哀公、孔子に問いて曰く、寡人は深宮の中に生まれ、婦人の手に長ず。寡人未だ嘗て哀を知らず、未だ嘗て憂を知らず、未だ嘗て労を知らず、未だ嘗て懼を知らず、未だ嘗て危を知らず、と。孔子曰く、君の問う所は、聖君の問いなり。丘は小人なり、何ぞ以て之を知るに足らんや、と。曰く、吾子に非ざれば之を聞く所無し、と。孔子曰く、君、廟門に入りて右し、胙階(そかい)より登り、仰ぎて榱棟(すいとう)を視、俯して几筵(きえん)を見れば、其の器は存して其の人は亡し。君此を以て哀を思わば、則ち哀将(は)た焉(いずく)にして至らざらんや。君、昧爽(まいそう)にして櫛(くしけず)り冠し、平明にして朝を聴くに、一物応ぜざれば、乱の端なり。君此を以て憂を思わば、則ち憂将た焉にして至らざらんや。君、平明にして朝を聴き、日昃(かたむ)きて退けば、諸侯の子孫、必ず君の末庭に在る者有らん。君此を以て労を思わば、則ち労将た焉にして至らざらんや。君、魯の四門を出でて以て魯の四郊を望まば、亡国の虚(あと)、則ち必ず数蓋(すうがい)有らん。君此を以て懼を思わば、則ち懼将た焉にして至らざらんや。且つ丘、之を聞く、君なる者は舟なり、庶人なる者は水なり。水は則ち舟を載せ、水は則ち舟を覆す。君此を以て危を思わば、則ち危将た焉にして至らざらんや、と。
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孔子家語・五儀解哀公孔子に問いて曰く、「寡人吾が国小にして能く守り、大なれば則ち攻めんことを欲す。其の道如何。」孔子対えて曰く、「君をして朝廷礼有らしめ、上下相親しましめば、天下の百姓皆君の民なり。将た誰をか之を攻めん。茍くも此の道を為さば、民の畔くこと帰するが如く、皆君の讎なり。将た誰と与にか守らん。」公曰く、「善いかな。」是に於て山沢の禁を廃し、関市の税を弛め、以て百姓を恵む。
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孔子家語・五儀解哀公孔子に問いて曰く、「寡人魯国の士を論じて、之と与に治を為さんと欲す。敢えて問う如何にして之を取らん。」孔子対えて曰く、「今の世に生きて、古の道に志し、今の俗に居りて、古の服を服す。此を舍てて非を為す者は、亦た鮮からずや。」曰く、「然らば則ち章甫絇履、紳帯縉笏なる者は、皆賢人なるか。」孔子曰く、「必ずしも然らざるなり。丘の言う所は、此を之れ謂うに非ざるなり。夫れ端衣玄裳、冕して軒に乗る者は、則ち志食焄に在らず。斬衰管菲、杖して粥を歠る者は、則ち志酒肉に在らず。今の世に生きて、古の道に志し、今の俗に居りて、古の服を服す、此の類を謂うなり。」公曰く、「善いかな、此を尽くすのみか。」孔子曰く、「人に五儀有り、庸人有り、士人有り、君子有り、賢人有り、聖人有り。此の五者を審らかにすれば、則ち治道畢わる。」
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孔子家語・五儀解公曰く、「敢えて問う、何如なるをか斯れ庸人と謂うべき。」孔子曰く、「所謂庸人なる者は、心に慎終の規を存せず、口に訓格の言を吐かず。賢を択びて以て其の身を托せず、力行して以て自ら定めず。小を見て大に闇く、務むる所を知らず。物に従うこと流の如く、其の執る所を知らず。此れ則ち庸人なり。」
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孔子家語・哀公問政哀公、政を孔子に問う。孔子対えて曰わく、「文武の政は、方策に布在す。其の人存すれば、則ち其の政挙がり、其の人亡ければ、則ち其の政息む。天道は生を敏め、人道は政を敏め、地道は樹を敏む。夫れ政は、猶お蒲盧のごときなり。化を待ちて以て成る。故に政を為すは人を得るに在り、人を取るには身を以てし、道を修むるには仁を以てす。仁とは人なり、親を親しむを大と為す。義とは宜なり、賢を尊ぶを大と為す。親を親しむの殺、賢を尊ぶの等は、礼の生ずる所以なり。礼とは政の本なり。是を以て君子は身を修めざる可からず。身を修めんことを思わば、親に事えざる可からず。親に事えんことを思わば、人を知らざる可からず。人を知らんことを思わば、天を知らざる可からず。天下の達道五つ有り、其の之れを行う所以の者三つ。曰わく、君臣なり、父子なり、夫婦なり、昆弟なり、朋友なり。五つの者は、天下の達道なり。智・仁・勇、三つの者は、天下の達徳なり。之れを行う所以の者は、一なり。或いは生まれながらにして之れを知り、或いは学びて之れを知り、或いは困しみて之れを知る。其の之れを知るに及びては、一なり。或いは安んじて之れを行い、或いは利として之れを行い、或いは勉強して之れを行う。其の成功に及びては、一なり。」