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荀子 / 哀公篇

魯哀公問於孔子曰:「寡人生於深宮之中,長於婦人之手,寡人未嘗知哀也,未嘗知憂也,未嘗知勞也,未嘗知懼也,未嘗知危也。」孔子曰:「君之所問,聖君之問也,丘、小人也,何足以知之?」曰:「非吾子無所聞之也。」孔子曰:「君入廟門而右,登自胙階,仰視榱棟,俯見几筵,其器存,其人亡,君以此思哀,則哀將焉而不至矣?君昧爽而櫛冠,平明而聽朝,一物不應,亂之端也,君以此思憂,則憂將焉而不至矣?君平明而聽朝,日昃而退,諸侯之子孫必有在君之末庭者,君以思勞,則勞將焉而不至矣?君出魯之四門,以望魯四郊,亡國之虛則必有數蓋焉,君以此思懼,則懼將焉而不至矣?且丘聞之,君者,舟也;庶人者,水也。水則載舟,水則覆舟,君以此思危,則危將焉而不至矣?」

新字:魯哀公問於孔子曰:「寡人生於深宮之中,長於婦人之手,寡人未嘗知哀也,未嘗知憂也,未嘗知労也,未嘗知懼也,未嘗知危也。」孔子曰:「君之所問,聖君之問也,丘、小人也,何足以知之?」曰:「非吾子無所聞之也。」孔子曰:「君入廟門而右,登自胙階,仰視榱棟,俯見几筵,其器存,其人亡,君以此思哀,則哀将焉而不至矣?君昧爽而櫛冠,平明而聴朝,一物不応,乱之端也,君以此思憂,則憂将焉而不至矣?君平明而聴朝,日昃而退,諸侯之子孫必有在君之末庭者,君以思労,則労将焉而不至矣?君出魯之四門,以望魯四郊,亡国之虚則必有数蓋焉,君以此思懼,則懼将焉而不至矣?且丘聞之,君者,舟也;庶人者,水也。水則載舟,水則覆舟,君以此思危,則危将焉而不至矣?」

書き下し

魯の哀公、孔子に問いて曰く、寡人は深宮の中に生まれ、婦人の手に長ず。寡人未だ嘗て哀を知らず、未だ嘗て憂を知らず、未だ嘗て労を知らず、未だ嘗て懼を知らず、未だ嘗て危を知らず、と。孔子曰く、君の問う所は、聖君の問いなり。丘は小人なり、何ぞ以て之を知るに足らんや、と。曰く、吾子に非ざれば之を聞く所無し、と。孔子曰く、君、廟門に入りて右し、胙階(そかい)より登り、仰ぎて榱棟(すいとう)を視、俯して几筵(きえん)を見れば、其の器は存して其の人は亡し。君此を以て哀を思わば、則ち哀将(は)た焉(いずく)にして至らざらんや。君、昧爽(まいそう)にして櫛(くしけず)り冠し、平明にして朝を聴くに、一物応ぜざれば、乱の端なり。君此を以て憂を思わば、則ち憂将た焉にして至らざらんや。君、平明にして朝を聴き、日昃(かたむ)きて退けば、諸侯の子孫、必ず君の末庭に在る者有らん。君此を以て労を思わば、則ち労将た焉にして至らざらんや。君、魯の四門を出でて以て魯の四郊を望まば、亡国の虚(あと)、則ち必ず数蓋(すうがい)有らん。君此を以て懼を思わば、則ち懼将た焉にして至らざらんや。且つ丘、之を聞く、君なる者は舟なり、庶人なる者は水なり。水は則ち舟を載せ、水は則ち舟を覆す。君此を以て危を思わば、則ち危将た焉にして至らざらんや、と。

現代語訳

魯の哀公が孔子に尋ねた。私は奥深い宮殿の中に生まれ、女性たちの手で育てられた。だから私は悲しみというものを知らず、憂いを知らず、労苦を知らず、恐れを知らず、危うさを知らない。孔子は言った。殿のご質問は、聖王のご質問です。この丘は小人にすぎません。どうしてお答えできましょう。哀公は言った。あなた以外に聞ける相手がいないのだ。そこで孔子は答えた。殿が宗廟の門を入って右に進み、東の階段から登り、見上げて垂木や棟木を眺め、見下ろして祖先の几や敷物を見れば、器はそのまま残っているのに、それを用いた人はもういません。これによって悲しみを思われれば、悲しみがやって来ないことがありましょうか。殿が夜明け前に髪をととのえ冠をつけ、明け方に朝廷で政務をお聴きになるとき、一つでも処理しきれないものがあれば、それが乱れの始まりです。これによって憂いを思われれば、憂いがやって来ないことがありましょうか。殿が明け方に政務を聴き、日が傾いて退くとき、かつての諸侯の子孫が、今は殿の庭の末席に控えているはずです。これによって労苦を思われれば、労苦がやって来ないことがありましょうか。殿が魯の四方の門を出て郊外を見わたせば、滅びた国の廃墟がいくつも残っているはずです。これによって恐れを思われれば、恐れがやって来ないことがありましょうか。さらに私はこう聞いております。君主は舟であり、民衆は水である。水は舟を浮かべもするが、水は舟を覆しもする、と。これによって危うさを思われれば、危うさがやって来ないことがありましょうか。

解説

「君は舟なり、庶人は水なり。水は則ち舟を載せ、水は則ち舟を覆す」——荀子の中でも最も広く知られた言葉が現れる一段です。哀公は、宮殿の奥で何不自由なく育ったために、悲しみも憂いも労苦も恐れも危うさも知らないと嘆きます。孔子はそれを責めるかわりに、その五つを実感する方法を一つずつ授けます。宗廟に入って、器は残るのに人はいないと気づけば悲しみが分かる。朝の政務でさばききれない案件が一つでもあれば、それが乱れの芽だと思えば憂いが分かる。滅びた国の廃墟を眺めれば恐れが分かる。そして最後が、舟と水のたとえです。民は君主を支えて浮かべる力であると同時に、ひっくり返す力でもある。支持してくれる人は、いつでも去る力を持っている。組織を率いる人、店を営む人にとって、これは今も生きた警告です。安全な場所にいるからこそ、危うさは自分から思い起こしにいくしかありません。

この一句を、あなたの毎日に。

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