孔子家語 / 五儀解
公曰:「何謂聖人?」孔子曰:「所謂聖者,德合於天地,變通無方。窮萬事之終始,協庶品之自然。敷其大道,而遂成情性。明並日月,化行若神。下民不知其德,睹者不識其鄰。此謂聖人也。」
新字:公曰:「何謂聖人?」孔子曰:「所謂聖者,徳合於天地,変通無方。窮万事之終始,協庶品之自然。敷其大道,而遂成情性。明並日月,化行若神。下民不知其徳,睹者不識其鄰。此謂聖人也。」
書き下し
公曰く、「何をか聖人と謂う。」孔子曰く、「所謂聖なる者は、徳天地に合し、変通方無し。万事の終始を窮め、庶品の自然に協う。其の大道を敷きて、遂に情性を成す。明は日月に並び、化は行いて神の若し。下民其の徳を知らず、睹る者其の鄰を識らず。此を聖人と謂うなり。」
現代語訳
哀公が「では聖人とはどのような人物でしょうか」と尋ねると、孔子は答えた。「いわゆる聖人とは、その徳が天地の働きと一つに合わさり、その変化と通達には決まった型がありません。あらゆる事柄の始めから終わりまでを窮め尽くし、万物の自然な在り方と調和しています。その大いなる道を広く行き渡らせ、ついには人々の本来の性情を成就させます。その明知は日月と並び立ち、その教化のはたらきは行われるさまがまるで神のようです。民衆はその徳の存在すら意識せず、それを目にする者もその近づき方すら分かりません。これを聖人というのです。」
解説
五儀の最終段階「聖人」が定義され、これをもって庸人から聖人に至る五段階の人物類型が完結します。聖人の徳は天地と一体化し、あらかじめ定まった型を持たずに万物と調和するとされ、その教化の働きはあまりに自然であるため、民衆はその恩恵を受けていることにすら気づかないほどだと描かれます。これは、最も優れた統治や教育とは、押しつけがましさを一切感じさせず、まるで最初からそうであったかのように人々を導くものであるという理想を示しており、無為にして治まるという理想とも通じ合う、統治の究極像です。
この章句が説くこと
五儀聖人天地無為教化
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