孔子家語 / 儒行解
儒有一畝之宮,環堵之室;蓽門圭窬,蓬戶甕牖;易衣而出,幷日而食;上答之,不敢以疑,上不答之,不敢以諂;其為士有如此者。儒有今人以居,古人以稽,今世行之,後世以為楷;若不逢世,上所不受,下所不推;詭諂之民,有比黨而危之;身可危也,其志,不可奪也;雖危起居,猶竟信其志,乃不忘百姓之病也;其憂思有如此者。
新字:儒有一畝之宮,環堵之室;蓽門圭窬,蓬戸甕牖;易衣而出,幷日而食;上答之,不敢以疑,上不答之,不敢以諂;其為士有如此者。儒有今人以居,古人以稽,今世行之,後世以為楷;若不逢世,上所不受,下所不推;詭諂之民,有比党而危之;身可危也,其志,不可奪也;雖危起居,猶竟信其志,乃不忘百姓之病也;其憂思有如此者。
書き下し
儒に一畝の宮、環堵の室有り。蓽門圭窬、蓬戸甕牖。衣を易えて出で、日を幷せて食う。上之に答うるも、敢えて以て疑わず、上之に答えざるも、敢えて以て諂わず。其の士為ること此くの如き者有り。儒に今人を以て居り、古人を以て稽え、今世に之を行い、後世以て楷と為す有り。若し世に逢わずんば、上受けざる所、下推さざる所、詭諂の民、比党して之を危うくすること有り。身は危うくすべきも、其の志は、奪うべからず。危起居すと雖も、猶お竟に其の志を信ぶ、乃ち百姓の病を忘れざるなり。其の憂思此くの如き者有り。
現代語訳
儒者には、わずか一畝の広さの住まい、四方を土塀で囲んだだけの狭い部屋しかないこともあります。編み枝の門とくぐり戸、蓬で編んだ扉と甕をくり抜いただけの窓しかありません。衣服を着替える余裕もなく外出し、何日分もの食事をまとめて食べるほど貧しいこともあります。それでも、主君が自分に応えてくれても図に乗って疑うことなく、主君が応えてくれなくても媚びへつらうことはありません。その士としての在り方はこのようなものです。儒者は、今の世に生きながらも、古の聖人を規範として自らを省み、今の世でその道を実践し、後の世の人々の模範となろうとします。もし時流に恵まれなければ、上の者からは受け入れられず、下の者からも推挙されず、へつらう者たちが徒党を組んでその身を危険にさらすこともあります。身は危険にさらされることがあっても、その志だけは奪うことができません。日々の暮らしが危うい状況にあっても、なお最後まで自分の志を貫き、それでも民の苦しみを忘れることはありません。その憂いと思いはこのようなものです。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
史記 伯夷列伝子曰く、「道同じからざれば相ひ為に謀らず」と。亦た各々其の志に従ふなり。故に曰く、「富貴もし求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従はん」と。「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る」。世を挙げて混濁して、清士乃ち見はる。豈に其の重んずること彼の若く、其の軽んずること此くの若くなるを以てせんや。
-
『講孟余話』離婁下 第八章「為さざる」は獧者の類なり。「為す有る」は狂者の類なり。もと是れ両種の人なり。譬へば伯夷の周の粟を食ふを恥ぢて首陽に餓死し、厳子陵の光武に屈せずして釣台に老ゆる如き、皆不為の志と云ふべし。伊尹の成湯を輔けて夏桀を南巣に放ち、太公の武王を勧めて殷紂を牧野に誅する如き、同じく天下の乱を定め万民の苦を救ふは、有為の業と云ふべし。伯夷・子陵、伊尹・太公、分けて云へば両種の人なり。然れども伊尹有莘の野に耕し、太公渭川に釣りせし時に当りて、富貴利達一つも其の心を動かす所なし、是れ其の不為の志なり。此の志あればこそ、有為の業も出来たるなり。又伯夷・子陵の如き不為の志ある人は、苟も其の位に当り其の事に任ずることあらば、固より亦有為の業を成すこと必せり。今吾が徒罪を獲て獄に坐す。真に能く心を道徳の域に楽しましめ、天下の事一つも心を動かすことなく、不為の志確乎たらば、一旦事変に臨むことありとも、必ず能く有為の業を成すことを得ん。是れ吾が学を勤むる所以なり。
-
言志四録・言志録 第四十一条 富貴は春夏、貧賤は秋冬富貴は譬へば則ち春夏なり、人の心をして蕩せしむ。貧賤は譬へば則ち秋冬なり、人の心をして粛せしむ。故に人、富貴に於ては則ち其の志を溺らし、貧賤に於ては則ち其の志を堅くす。
-
孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
-
『慎思録』巻之一道に志す者は、須らく誠敬以て其の志を守るべし。然らざれば則ち流蕩放荒して道を忘れ、終にも亦必ず亡びんのみ。今の学者、大率人の不善を責むるの意思常に多くして、己の不善を責むるの意思常に少なし。此れ聖賢を以て人を律し、衆人を以て己を待すと謂ふ。是を以て学を為す者の、終に己に益無き所以なり。
-
『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、