孔子家語 / 儒行解
公曰:「夫子之服,其儒服與?」孔子對曰:「丘少居魯,衣逢掖之衣。長居宋,冠章甫之冠。丘聞之,君子之學也,博其服以鄉,丘未知其為儒服也。」
新字:公曰:「夫子之服,其儒服与?」孔子対曰:「丘少居魯,衣逢掖之衣。長居宋,冠章甫之冠。丘聞之,君子之学也,博其服以鄉,丘未知其為儒服也。」
書き下し
公曰く、「夫子の服は、其れ儒服か。」孔子対えて曰く、「丘少くして魯に居り、逢掖の衣を衣る。長じて宋に居り、章甫の冠を冠る。丘之を聞く、君子の学ぶや、其の服を博めて以て郷う、と。丘未だ其の儒服為るを知らざるなり。」
現代語訳
哀公が「あなたの服装は、儒者の服なのでしょうか」と尋ねた。孔子は「私は若い頃に魯におり、袖の広い逢掖の衣を着ておりました。成長してからは宋におり、章甫という冠をかぶりました。私はこう聞いております。君子の学問というものは、様々な土地の服装を広く身につけて、それぞれの土地の風習に合わせるものだ、と。私自身は、これが儒者独特の服だとは考えたことがありません」と答えた。
解説
哀公が孔子の服装を「儒者らしい服装」と決めつけたのに対し、孔子は自らの服装が生まれ育った土地の慣習に従っただけのものであり、特定の「儒者の制服」というものではないと答えています。この短いやり取りは、儒者という存在が特定の服装や外見によって定義されるものではなく、その内実(次章以降で語られる徳目)によって規定されるべきだという、続く「儒行」の議論への巧みな導入になっています。外見や肩書きで人を判断しがちな傾向に対し、本質を見よと促す姿勢は、現代においても人物評価のあり方を考える上で示唆的です。
この章句が説くこと
儒服哀公逢掖の衣章甫外見