荀子 / 哀公篇
哀公曰:「然則夫章甫絇屨,紳帶而搢笏者,此賢乎?」孔子對曰:「不必然,夫端衣玄裳,絻而乘路者,志不在於食葷;斬衰菅屨,杖而啜粥者,志不在於酒肉。生今之世,志古之道;居今之俗,服古之服;舍此而為非者,雖有,不亦鮮乎!」
新字:哀公曰:「然則夫章甫絇屨,紳帯而搢笏者,此賢乎?」孔子対曰:「不必然,夫端衣玄裳,絻而乗路者,志不在於食葷;斬衰菅屨,杖而啜粥者,志不在於酒肉。生今之世,志古之道;居今之俗,服古之服;舎此而為非者,雖有,不亦鮮乎!」
書き下し
哀公曰く、然らば則ち夫の章甫(しょうほ)・絇屨(くく)、紳帯して笏を搢(さしはさ)む者、此れ賢なるか、と。孔子対えて曰く、必ずしも然らず。夫れ端衣玄裳、絻(べん)して路車に乗る者は、志は葷(くん)を食らうに在らず。斬衰(ざんさい)・菅屨(かんく)、杖つきて粥を啜る者は、志は酒肉に在らず。今の世に生まれて古の道を志し、今の俗に居りて古の服を服す。此に舍(お)りて非を為す者は、有りと雖も、亦た鮮(すく)なからずや、と。
現代語訳
哀公が言った。では、章甫の冠をかぶり、飾り靴をはき、大帯を締めて笏を差している者、こういう者が賢者なのか。孔子は答えた。必ずしもそうとは限りません。しかし、礼服を着て冠をつけ、祭祀の車に乗る者は、その心はもはや生臭いものを食べることには向いていません。喪服を着て菅の草履をはき、杖をついて粥をすする者は、その心は酒や肉には向いていません。今の世に生まれながら古の道を志し、今の風俗の中で古の装いを保つ。そういう立場に身を置いてなお悪事をなす者は、いたとしてもごく少ないのです。
解説
哀公は前段の答えを聞いて、では立派な礼服を着ていれば賢者なのかと問い返します。孔子はまず、それだけで賢者と決まるわけではないと否定します。ただし、と続けて挙げるのが服と心の関係です。祭祀の礼服を身につけた人の心は、もう脂っこい食事には向かない。喪服を着て粥をすする人の心は、酒や肉には向かない。つまり、まとうかたちが心のありようを引き寄せるのだ、という指摘です。荀子は人の心を礼というかたちによって整えると考えました。ここにもその発想が生きています。服装だけの人を賢者と呼ぶことはできませんが、ふさわしい装いに身を置き続ける人が道を外れることも、また少ない。私たちの仕事でも、姿勢や身なり、あいさつといった外形はしばしば軽んじられますが、かたちが心を支えるという逆向きの働きは、思うより大きいのです。
この章句が説くこと
礼の装いかたちが心を整える外形と内面賢者の見分け方人物評価忠信
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