孔子家語 / 王言解
夫布指知寸,布手知尺,舒肘知尋,斯不遠之則也。周制,三百步為里,千步為井,三井而埒,埒三而矩,五十里而都封,百里而有國,乃為福積資求焉,恤行者有亡。是以蠻夷諸夏,雖衣冠不同,言語不合,莫不來賓。故曰無市而民不乏,無刑而民不亂。田獵罩弋,非以盈宮室也。征斂百姓,非以盈府庫也。慘怛以補不足,禮節以損有餘,多信而寡貌。其禮可守,其言可覆,其跡可履。如饑而食,如渴而飲。民之信之,如寒暑之必驗。故視遠若邇,非道邇也,見明德也。是故兵革不動而威,用利不施而親,萬民懷其惠,此之謂明王之守,折沖千里之外者也。」
新字:夫布指知寸,布手知尺,舒肘知尋,斯不遠之則也。周制,三百歩為里,千歩為井,三井而埒,埒三而矩,五十里而都封,百里而有国,乃為福積資求焉,恤行者有亡。是以蠻夷諸夏,雖衣冠不同,言語不合,莫不来賓。故曰無市而民不乏,無刑而民不乱。田猟罩弋,非以盈宮室也。征斂百姓,非以盈府庫也。惨怛以補不足,礼節以損有余,多信而寡貌。其礼可守,其言可覆,其跡可履。如饑而食,如渇而飲。民之信之,如寒暑之必験。故視遠若邇,非道邇也,見明徳也。是故兵革不動而威,用利不施而親,万民懐其恵,此之謂明王之守,折沖千里之外者也。」
書き下し
夫れ指を布きて寸を知り、手を布きて尺を知り、肘を舒べて尋を知る、斯れ遠からざるの則なり。周制、三百歩を里と為し、千歩を井と為し、三井にして埒、埒三にして矩、五十里にして都封あり、百里にして国有り、乃ち福を積み資を求むる為に、行者に亡う有るを恤む。是を以て蛮夷諸夏、衣冠同じからず、言語合わずと雖も、来賓せざる莫し。故に曰く、市無くして民乏しからず、刑無くして民乱れず、と。田猟罩弋は、以て宮室を盈たすに非ざるなり。百姓を征斂するは、以て府庫を盈たすに非ざるなり。惨怛以て不足を補い、礼節以て有余を損じ、信多くして貌寡し。其の礼守るべく、其の言覆すべく、其の跡履むべし。饑うるが如くして食らい、渇するが如くして飲む。民の之を信ずること、寒暑の必ず験あるが如し。故に遠きを視ること邇きが如きは、道邇きに非ざるなり、明徳を見ればなり。是の故に兵革動かずして威あり、利用施さずして親しみ、万民其の恵を懐う、此を之れ明王の守り、千里の外に折衝すと謂う者なり。」
現代語訳
そもそも指を広げて一寸を知り、手を広げて一尺を知り、肘を伸ばして一尋を知るように、身近なものから測ることが遠くを知る法則である。周の制度では、三百歩を一里とし、千歩四方を一井とし、三つの井を合わせて一埒、三つの埒を合わせて一矩とし、五十里ごとに都邑を封じ、百里ごとに一国を置いた。それは福を蓄え物資を求めるためであり、また旅人が困窮することのないよう気を配るためでもあった。こうして蛮夷も中華の諸国も、衣服や言語が異なっていても、みな来朝して従った。だから「市場がなくとも民は不足せず、刑罰がなくとも民は乱れない」と言われるのだ。狩猟や漁労も宮殿を満たすためではなく、民から租税を取り立てるのも国庫を満たすためではない。深い思いやりで不足を補い、礼節をもって余りあるものを控えめにし、誠実さを多くして見せかけを少なくする。その礼は守るに値し、その言葉は繰り返すに値し、その行いは踏襲するに値する。飢えたときのように食し、渇いたときのように飲むように、民がこれを信頼することは、寒暑が必ず巡り来るのを信じるのと同じである。だから遠くを見ることが近くを見るようであるのは、道が近いからではなく、明らかな徳を見ているからなのだ。こうして武器を動かさずとも威光があり、利益を与えずとも人々は親しみ、万民はその恵みを懐かしむ。これを明王の守り、すなわち千里の外で敵を挫くというのである。」
解説

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