孔子家語 / 王言解
曾子曰:「道則至矣,弟子不足以明之。」孔子曰:「參以為姑止乎?又有焉。昔者明王之治民也,法必裂地以封之,分屬以理之,然後賢民無所隱,暴民無所伏。使有司日省而時考之,進用賢良,退貶不肖,然則賢者悅而不肖者懼。哀鰥寡、養孤獨、恤貧窮、誘孝悌、選才能。此七者修,則四海之內,無刑民矣。上之親下也,如手足之於腹心。下之親上也,如幼子之於慈母矣。上下相親如此,故令則從,施則行,民懷其德,近者悅服,遠者來附,政之致也。
新字:曽子曰:「道則至矣,弟子不足以明之。」孔子曰:「参以為姑止乎?又有焉。昔者明王之治民也,法必裂地以封之,分属以理之,然後賢民無所隠,暴民無所伏。使有司日省而時考之,進用賢良,退貶不肖,然則賢者悅而不肖者懼。哀鰥寡、養孤独、恤貧窮、誘孝悌、選才能。此七者修,則四海之内,無刑民矣。上之親下也,如手足之於腹心。下之親上也,如幼子之於慈母矣。上下相親如此,故令則従,施則行,民懐其徳,近者悅服,遠者来附,政之致也。
書き下し
曾子曰く、「道は則ち至れり、弟子以て之を明らかにするに足らず。」孔子曰く、「参、以て姑く止むと為すか。又焉有り。昔者明王の民を治むるや、法は必ず地を裂きて以て之を封じ、分属して以て之を理む。然る後賢民隠るる所無く、暴民伏する所無し。有司をして日に省みて時に之を考えしめ、賢良を進用し、不肖を退貶すれば、然れば則ち賢者悦びて不肖者懼る。鰥寡を哀れみ、孤独を養い、貧窮を恤み、孝悌を誘い、才能を選ぶ。此の七者修まれば、則ち四海の内、刑民無し。上の下を親しむや、手足の腹心に於けるが如し。下の上を親しむや、幼子の慈母に於けるが如し。上下相親しむこと此くの如し。故に令すれば則ち従い、施せば則ち行われ、民其の徳を懐い、近き者悦服し、遠き者来附す、政の致すなり。
現代語訳
曾子が「道はもう極まりました。私にはこれ以上明らかにすることができません」と言うと、孔子は言った。「参よ、これで止めてよいと思うのか。まだ他にもある。昔の明王が民を治めるにあたっては、必ず土地を分割して諸侯に封じ、それぞれに管轄させて治めさせた。そうすれば賢い民は埋もれることなく、乱暴な民も身を潜めることができない。役人に日々見守らせ、時に応じて評価させ、優れた者を登用し、劣った者を退けるようにすれば、賢者は喜び、不肖の者は恐れる。やもめや孤児を哀れみ、身寄りのない者を養い、貧しい者を助け、孝行や年長者への敬意を勧め、才能ある者を選び出す。この七つが行き届けば、天下の中に刑罰を受ける民はいなくなる。上の者が下の者を慈しむのは、手足が腹や心臓を大切にするようなものであり、下の者が上の者を慕うのは、幼子が慈母を慕うようなものである。上下がこのように親しみ合えば、命令すれば従われ、施せば行われ、民はその徳を懐かしみ、近くの者は喜んで服し、遠くの者もやってきて帰服する。これこそ政治の極致である。」
解説
この章句が説くこと
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