孔子家語 / 王言解
曾子曰:「敢問何謂七教?」孔子曰:「上敬老則下益孝,上尊齒則下益悌,上樂施則下益寬,上親賢則下擇友,上好德則下不隱,上惡貪則下恥爭,上廉讓則下恥節,此之謂七教。七教者,治民之本也。政教定,則本正也。凡上者,民之表也,表正則何物不正。是故人君先立仁於己,然後大夫忠而士信,民敦俗璞,男愨而女貞,六者,教之致也。布諸天下四方而不怨,納諸尋常之室而不塞,等之以禮,立之以義,行之以順,則民之棄惡,如湯之灌雪焉。」
新字:曽子曰:「敢問何謂七教?」孔子曰:「上敬老則下益孝,上尊歯則下益悌,上楽施則下益寛,上親賢則下択友,上好徳則下不隠,上悪貪則下恥争,上廉譲則下恥節,此之謂七教。七教者,治民之本也。政教定,則本正也。凡上者,民之表也,表正則何物不正。是故人君先立仁於己,然後大夫忠而士信,民敦俗璞,男愨而女貞,六者,教之致也。布諸天下四方而不怨,納諸尋常之室而不塞,等之以礼,立之以義,行之以順,則民之棄悪,如湯之灌雪焉。」
書き下し
曾子曰く、「敢えて問う、何をか七教と謂う。」孔子曰く、「上老を敬すれば則ち下孝を益し、上歯を尊べば則ち下悌を益し、上施を楽しめば則ち下寛を益し、上賢を親しめば則ち下友を択び、上徳を好めば則ち下隠さず、上貪を悪めば則ち下争いを恥じ、上廉譲すれば則ち下節を恥ず。此を之れ七教と謂う。七教なる者は、民を治むるの本なり。政教定まれば、則ち本正し。凡そ上なる者は、民の表なり、表正しければ則ち何物か正しからざらん。是の故に人君先ず仁を己に立て、然る後大夫忠にして士信あり、民敦く俗璞にして、男愨しく女貞なり。六者は、教の致すところなり。諸を天下四方に布きて怨みず、諸を尋常の室に納れて塞がらず、之を等うるに礼を以てし、之を立つるに義を以てし、之を行うに順を以てすれば、則ち民の悪を棄つること、湯の雪に灌ぐが如し。」
現代語訳
曾子が「あえてお尋ねします。七教とは何でしょうか」と尋ねると、孔子は言った。「上の者が老人を敬えば下の者は孝行の心を増し、上の者が年長者を尊べば下の者は目上を敬う心を増し、上の者が施しを楽しめば下の者は寛大さを増し、上の者が賢者を親しめば下の者は良い友を選ぶようになり、上の者が徳を好めば下の者は隠し事をせず、上の者が貪欲を憎めば下の者は争いを恥じ、上の者が謙譲を重んじれば下の者は節操のなさを恥じる。これを七教という。七教とは、民を治める根本である。政治と教化が定まれば、根本が正しくなる。そもそも上に立つ者は民の手本であり、手本が正しければどんなことも正しくならないはずがない。だから君主はまず自ら仁を身に立て、その後で大夫は忠実になり士は信義を守り、民は篤実で風俗は素朴になり、男は誠実に女は貞淑になる。これら六つは教化がもたらす成果である。これを天下四方に広めても人々は怨まず、どの家庭に持ち込んでも滞ることなく行き渡り、礼によって秩序を整え、義によって立場を確立し、道理に従って行動すれば、民が悪を棄てることは、まるでお湯を雪に注ぐように容易くなる。」
解説

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