孔子家語 / 相魯
孔子言於定公曰:「家不藏甲,邑無百雉之城,古之制也。今三家過制,請皆損之。」乃使季氏宰仲由墮三都。叔孫不得意於季氏,因費宰公山弗擾率費人以襲魯。孔子以公與季孫、叔孫、孟孫,入於費氏之宮,登武子之臺;費人攻之,及臺側,孔子命申句須、樂頎勒士眾下伐之。費人北,遂墮三都之城。強公室,弱私家;尊君卑臣,政化大行。
新字:孔子言於定公曰:「家不蔵甲,邑無百雉之城,古之制也。今三家過制,請皆損之。」乃使季氏宰仲由堕三都。叔孫不得意於季氏,因費宰公山弗擾率費人以襲魯。孔子以公与季孫、叔孫、孟孫,入於費氏之宮,登武子之台;費人攻之,及台側,孔子命申句須、楽頎勒士衆下伐之。費人北,遂堕三都之城。強公室,弱私家;尊君卑臣,政化大行。
書き下し
孔子定公に言いて曰く、「家に甲を蔵せず、邑に百雉の城無きは、古の制なり。今三家制を過ぐ、請う皆之を損ぜん。」乃ち季氏の宰仲由をして三都を墮たしむ。叔孫季氏に意を得ず、費宰公山弗擾に因りて費人を率いて以て魯を襲う。孔子公と季孫・叔孫・孟孫を以て、費氏の宮に入り、武子の台に登る。費人之を攻め、台側に及ぶ。孔子申句須・楽頎に命じて士衆を勒して下りて之を伐たしむ。費人北げ、遂に三都の城を墮つ。公室を強くし私家を弱くし、君を尊び臣を卑しくし、政化大いに行わる。
現代語訳
孔子は定公に、「大夫の家に武器を蓄えず、都邑に規定以上の城壁を築かないのが古来の制度です。今、三桓の家はこの制度を超えていますので、どうかこれをすべて削減してください」と進言した。そこで季氏の家臣である仲由(子路)に三都の城壁を取り壊させた。叔孫氏は季氏の意向に不満を抱き、費の代官である公山弗擾を通じて費の人々を率いて魯を襲撃した。孔子は定公と季孫・叔孫・孟孫の三氏を伴い、費氏の宮殿に入って武子の台に登った。費の人々がこれを攻め、台のそばまで迫ったので、孔子は申句須と楽頎に命じ、兵を率いて下りてこれを討伐させた。費の人々は敗走し、ついに三都の城壁は取り壊された。こうして公室の力は強まり、私家(有力家臣)の力は弱まり、君主が尊ばれ臣下が控えめになり、政治教化が大いに行われるようになった。
解説

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『春秋左氏伝』定公十二年 三都を墮つ十二年夏、衛の公孟彄、曹を伐ち、郊に克ちて還る。滑羅、殿す。未だ出でざるに、列より退かず。其の御曰く、「殿にして列に在り、其れ無勇と為さんか」と。羅曰く、「其の素厲ならんよりは、寧ろ無勇と為らん」と。仲由、季氏の宰と為り、將に三都を墮たんとす。是に於いて叔孫氏、郈を墮つ。季氏、將に費を墮たんとす。公山不狃・叔孫輒、費人を帥ゐて以て魯を襲ふ。公と三子と、季氏の宮に入り、武子の臺に登る。費人、之を攻むれども克たず。入りて公の側に及ぶ。仲尼、申句須・樂頎に命じて、下りて之を伐たしむ。費人北ぐ。國人、之を追ひ、諸を姑蔑に敗る。二子、齊に奔る。遂に費を墮つ。將に成を墮たんとす。公斂處父、孟孫に謂ふ、「成を墮たば、齊人必ず北門に至らん。且つ成は孟氏の保障なり。成無きは是れ孟氏無きなり。子、偽りて知らざれ。我、將に墮たざらんとす」と。冬十二月、公、成を圍むも克たず。
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史記 孔子世家仲由をして季氏の宰と為らしめ、将に三都を墮たんとす。是に於て叔孫氏先づ郈を墮つ。季氏将に費を墮たんとす、公山不狃・叔孫輒、費人を率ゐて魯を襲ふ。公、三子と季氏の宮に入り、武子の台に登る。費人之を攻むるも、克たず、入りて公の側に及ぶ。孔子、申句須・楽頎に命じて下りて之を伐たしむ、費人北ぐ。国人之を追ひ、諸を姑蔑に敗る。二子斉に奔り、遂に費を墮つ。将に成を墮たんとす、公歛処父孟孫に謂ひて曰く、「成を墮たば、斉人必ず北門に至らん。且つ成は孟氏の保鄣なり、成無きは是れ孟氏無きなり。我将に墮たざらんとす」と。十二月、公成を囲むも、克たず。定公十四年、孔子年五十六、大司寇より相の事を行摂し、喜色有り。門人曰く、「聞く、君子は禍至りて懼れず、福至りて喜ばずと」と。孔子曰く、「是の言有り。『其の貴を以て人に下るを楽しむ』と曰はずや」と。是に於て魯の大夫の政を乱す者少正卯を誅す。国政に与り聞くこと三月、羔豚を粥ぐ者は賈を飾らず、男女の行く者は塗を別にし、塗に遺ちたるを拾はず。四方の客の邑に至る者は有司に求めず、皆之に予へて以て帰らしむ。斉人聞きて懼れて曰く、「孔子政を為さば必ず霸たらん、霸たらば則ち吾が地近し、我之れ先づ并せられん。盍ぞ地を致さざる」と。黎鉏曰く、「請ふ先づ嘗みに之を沮まん。之を沮みて可ならずんば則ち地を致すも、庸ぞ遅からんや」と。是に於て斉の国中の女子の好き者八十人を選び、皆文衣を衣て康楽を舞はしめ、文馬三十駟もて、魯君に遺る。女楽文馬を魯城の南の高門の外に陳ぬ、季桓子微服して往きて観ること再三、将に受けんとし、乃ち魯君に語りて周道の游を為さしめ、往きて観ること終日、政事に怠る。子路曰く、「夫子以て行くべし」と。孔子曰く、「魯今且に郊せんとす、如し膰を大夫に致さば、則ち吾猶ほ以て止まるべし」と。
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孔子家語・相魯初め、魯の羊を販ぐ者に沈猶氏なる者有り、常に朝に其の羊に飲ませて以て詐る。市人に公慎氏なる者有り、妻淫にして制せず。慎潰氏有り、奢侈にして法を踰ゆ。魯の六畜を鬻ぐ者、之を飾るに儲価を以てす。孔子の政を為すに及びて、則ち沈猶氏敢えて朝に其の羊に飲ませず。公慎氏其の妻を出だす。慎潰氏境を越えて徙る。三月にして、則ち牛馬を鬻ぐ者価を儲えず、羊豚を売る者飾りを加えず。男女行く者、其の塗を別にし、道に遺を拾わず。男は忠信を尚び、女は貞順を尚ぶ。四方の客邑に至る者、有司に求めずして、皆帰るが如し。
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孔子家語・相魯孔子初めて仕えて中都の宰と為り、養生・送死の節を制す。長幼食を異にし、強弱任を異にし、男女塗を別にし、路に遺を拾わず、器は雕偽せず。四寸の棺、五寸の槨を為り、丘陵に因りて墳と為し、封ぜず樹えず。之を行うこと一年にして、西方の諸侯之に則る。定公孔子に謂いて曰く、「子の此の法を学びて、以て魯国を治めば何如。」孔子対えて曰く、「天下と雖も可ならんや。何ぞ但に魯国のみならんや。」
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