孔子家語 / 相魯
於是二季,定公以為司空。乃別五土之性,而物各得其所生之宜,咸得厥所。先時季氏葬昭公于墓道之南,孔子溝而合諸墓焉。謂季桓子曰:「貶君以彰己罪,非禮也。今合之,所以掩夫子之不臣。」
新字:於是二季,定公以為司空。乃別五土之性,而物各得其所生之宜,咸得厥所。先時季氏葬昭公于墓道之南,孔子溝而合諸墓焉。謂季桓子曰:「貶君以彰己罪,非礼也。今合之,所以掩夫子之不臣。」
書き下し
是に於て二季、定公以て司空と為す。乃ち五土の性を別ちて、物各々其の生ずる所の宜しきを得、咸な其の所を得たり。先時、季氏昭公を墓道の南に葬る。孔子溝して諸墓に合わす。季桓子に謂いて曰く、「君を貶して以て己が罪を彰らかにするは、礼に非ざるなり。今之を合わするは、夫子の不臣を掩う所以なり。」
現代語訳
そこで定公は孔子を司空(土木・農地を司る官)に任じた。孔子は五種の土地の性質を区分し、それぞれの物がその生育に適した場所を得られるようにしたので、万物がみなその居場所を得た。以前、季氏は昭公を墓道の南(臣下の位置)に葬っていた。孔子は溝を掘って昭公の墓を歴代君主の墓域に合わせた。そして季桓子に「主君を貶めることで自分の罪を明らかにするのは、礼に外れたことです。今これを合わせるのは、あなたの父君が臣下の道に外れた行いをしたことを覆い隠すためなのです」と言った。
解説
司空に任じられた孔子は、土地の性質に応じた合理的な区画整理を行うとともに、先代の季氏が主君・昭公の墓を臣下の列に落として葬っていた非礼を、静かに正しています。注目すべきは、孔子が季桓子を頭ごなしに非難せず、「墓を合わせることは、あなたの父の不名誉を覆い隠すためだ」と、相手の体面を保ちながら過ちを正す配慮を見せている点です。正義を貫くことと人間関係への配慮は両立しうるという実践例であり、現代の組織においても、過去の失策を糾弾するのではなく、静かに是正しつつ相手の面目を保つ姿勢は、円滑な改革を進める上で参考になります。

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司空五土季桓子昭公礼
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